AI時代に抗う生の衝動:2026年正月のトム・ブラウンと「ダメーーー」の解剖

📝 この記事のポイント

  • 友人とのZoom飲み会が終わり、一人になった部屋で、私は考え込んでいた。
  • ディスプレイの残像が薄れるにつれ、薄暗い部屋の輪郭が曖昧になる。
  • AIアシスタントが提案する「癒しの音楽」も、耳には届かない。

友人とのZoom飲み会が終わり、一人になった部屋で、私は考え込んでいた。

ディスプレイの残像が薄れるにつれ、薄暗い部屋の輪郭が曖昧になる。

AIアシスタントが提案する「癒しの音楽」も、耳には届かない。

2026年の正月は、例年にも増して奇妙な空気感を纏っていた。

人々はSNSのアルゴリズムが最適化した情報空間に浸り、ChatGPTやGeminiが日常のタスクを効率化する。

その一方で、物価高は容赦なく家計を圧迫し、Z世代と呼ばれる私たちは、消費の価値をより深く問い直す時代に生きている。

流行の兆しは、常に人の心の奥底から湧き上がる衝動に起因する。

この数年で顕著になったのは、予測不能な「生」の体験への渇望だ。

バーチャル空間の精緻さは極まり、生成AIはあらゆるエンターテイメントを創出する。

だが、その完璧さゆえに、人間は不完全で、荒々しく、予測不能なものに惹かれる。

それが、エモ消費という名の、感情の揺さぶりを求める行動へと繋がる。

推し活はその最たる例であり、私たちは「推し」を通して、自身の存在意義すらも確認しようとする。

それは情報過多な世界における、人間性の再定義の試みである。

私はその正月、一つの衝動に駆られていた。

布川さんの「ダメーーー」を生で体感すること。

テレビや動画配信サービスで幾度となくその暴力的なまでの叫びは目にしてきた。

しかし、スクリーン越しの体験と、生身の人間が放つエネルギーの間には、決定的な断絶が存在する。

それは、AIがどれほど緻密な感情表現を学習しようとも、決して模倣し得ない、人間の「揺らぎ」と「熱量」である。

私はその本質を、肌で感じたかった。

劇場は、都市の喧騒から隔絶された、一種の結界空間である。

開演を待つ観客たちは、それぞれの期待と不安を抱え、静かにエネルギーを蓄えている。

彼らの視線は一点に集まり、日常のペルソナは剥がれ落ち、純粋な好奇心と興奮が表層に現れる。

スマートフォンの画面を覗き込む者は少なく、生の体験を前にした人間が放つ、独特の緊張感が会場を支配していた。

トム・ブラウンの二人が舞台に現れた瞬間、会場の空気は一変した。

彼らは、都市の隙間に潜む野生の獣のような存在である。

みちおさんの、見るからにいかつい風貌。

その表情は、AIが生成する完璧なスマイルとは異なり、どこか不穏で、しかし同時に惹きつけられる人間臭さを宿している。

彼らはただそこにいるだけで、静かな暴力性を放っていた。

その存在感は、デジタル画面を通してしか世界を知らない世代にとって、むしろ新鮮な衝撃である。

彼らの漫才は、まるで荒削りな岩石がぶつかり合うような、原始的なエネルギーに満ちていた。

言葉の応酬は、洗練された論理の構築ではなく、感情と感情の剥き出しの衝突である。

みちおさんの理不尽なまでのボケと、それに対する布川さんの渾身のツッコミ。

その全てが、予測の範疇を超えていた。

AIが最適解を導き出す世界で生きる私たちにとって、その予測不能な展開こそが、最も価値のある体験であった。

そして、その瞬間は訪れた。

「ダメーーー」。

布川さんのその叫びは、単なるツッコミの域を超えていた。

それは、理不尽な世界に対する、あるいは自己の内なる葛藤に対する、魂の叫びである。

私はその叫びを、劇場という結界空間の中で真正面から受け止めた。

その音圧は、鼓膜を震わせ、身体の奥底まで響き渡った。

それは、デジタル音源では決して再現できない、生身の人間が放つ、純粋なエネルギーの奔流であった。

その叫びには、現代社会を生きる私たちの、普遍的な感情が凝縮されていた。

AIの進化によって効率化された世界は、時に人間の感情や直感を置き去りにする。

物価高騰の中で節約を強いられ、リモートワークで人との直接的な繋がりが希薄になる。

SNSの煌びやかな情報に疲弊し、私たちは無意識のうちに「ダメーーー」と叫びたい衝動を抱えているのかもしれない。

布川さんの叫びは、その鬱積した感情を代弁し、解放するカタルシスを私たちに与えたのだ。

生のトム・ブラウンは、いかつくて、怖くて、そして暴力的だった。

だが、その暴力性こそが、彼らの魅力の本質である。

彼らは、社会の表層を覆う洗練された仮面を剥ぎ取り、人間の根源的な感情を露呈させる。

それは、AIが生み出す「完璧な模倣」や「最適化された体験」とは対極に位置する。

彼らの漫才は、まるで呪術のように、観客の感情を揺さぶり、無意識の扉をこじ開ける力を持っていた。

この体験は、私の中で一つの確信へと繋がった。

技術の進化がどれほど進もうとも、人間は常に、生の、予測不能な、そして不完全なものを求める存在である。

AIが生活を豊かにし、効率化する一方で、私たちは自身が持つ「人間らしさ」を再発見しようとする。

それは、感情の揺らぎであり、理不尽さへの抵抗であり、そして何よりも、他者との生身の交流から生まれるエネルギーである。

文化的背景を見れば、サブカルチャーが持つ本質的な魅力は、常にカウンターカルチャーとしての役割を担ってきた。

トム・ブラウンのような芸人は、既存の価値観や秩序に対するアンチテーゼである。

彼らの存在は、AIが提示する合理性や効率性だけでは測れない、人間の奥底に潜む衝動を肯定する。

それは、情報過多な社会において、私たち自身の「野生」を呼び覚ます、一種の儀式とも言える。

彼らは、私たちに「大丈夫だ、君たちの感情は間違っていない」と語りかけているのである。

未来を予測するならば、この傾向は加速するだろう。

AIの進化がさらに進めば進むほど、人間は自身のアイデンティティを、より一層「生」の体験や感情の揺らぎの中に求めるようになる。

デジタルとアナログ、効率と非効率、完璧と不完全。

これら二項対立の間に存在する、人間特有の「間」や「遊び」こそが、これからの消費の中心となる。

私たちは、完璧に最適化された世界の中で、あえて不便さや、予測不能な面白さを選択するようになるだろう。

トム・ブラウンの「ダメーーー」は、その混沌とした時代の、一つの象徴である。

それは、AIには決して理解できない、人間の魂の叫びだ。

その叫びを聞いた私は、日常に帰ってからも、どこか荒々しく、しかし満たされた感覚を抱いていた。

薄暗い部屋で、私は再び考え込む。

画面の向こうに広がる無限の仮想世界と、生の舞台で感じたあの暴力的なまでのエネルギー。

その対比の中で、私は2026年を生きる自分の、確かな輪郭を感じ取っていた。

私たちはこれからも、理不尽な世界の中で、自分だけの「ダメーーー」を探し続けるのだろう。

それは、人間であることの、最も純粋な証である。


💡 このエッセイは、Togetterの話題から着想を得て、2026年の視点で書かれた創作記事です。

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