惰性筋トレ、時々哲学のこと

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📝 この記事のポイント

  • いつものように、ギュウギュウ詰めの通勤電車に揺られていた。
  • スマホのニュースアプリを開くと、AIによる完全自動運転タクシーの実用化が目前だとか、メタバース空間での地方創生プロジェクトが始動したとか、そんな記事が目に飛び込んでくる。
  • でも、僕の足元は、今日も昨日と変わらない、ざらついた電車の床だ。

2026年1月26日。いつものように、ギュウギュウ詰めの通勤電車に揺られていた。窓の外はどんよりとした曇り空。スマホのニュースアプリを開くと、AIによる完全自動運転タクシーの実用化が目前だとか、メタバース空間での地方創生プロジェクトが始動したとか、そんな記事が目に飛び込んでくる。未来はもうすぐそこまで来ているらしい。でも、僕の足元は、今日も昨日と変わらない、ざらついた電車の床だ。

会社に着き、いつもの席に座る。目の前のパソコンが起動するのを待ちながら、ぼんやりと今日やるべきことを思い浮かべる。プレゼン資料の修正、クライアントへのメール返信、そして、夕方にはジムに行くこと。

ジム。週に4日か5日、多いときは6日、僕はそこへ通っている。きっかけは、5年前に付き合っていた彼女に「細マッチョが好き」と言われたことだった。単純な僕は、彼女を振り向かせるために、藁にもすがる思いでジムの門を叩いた。

最初の頃は、とにかく身体を大きくすることに必死だった。プロテインをガブ飲みし、YouTubeで見た筋トレ動画を参考に、限界まで追い込んでいた。筋肉痛が心地よく、鏡に映る自分の身体の変化に興奮した。まるで、ゲームのキャラクターをレベルアップさせるかのように、自分の肉体を改造していくことに夢中だった。

しかし、そんな熱狂も長くは続かなかった。彼女とはすぐに別れてしまったし、身体を大きくすることにも、だんだんと疑問を感じ始めた。筋肉を維持するためには、食事にも気を遣わなければならないし、時間もかかる。何よりも、僕は別にボディビルダーになりたいわけではない。ただ、健康でいたいだけなのだ。

それでも、僕はジムに通い続けた。目的は変わった。身体を大きくすることではなく、健康維持のため。そして、何よりも、惰性で。

いつものルーティン。ストレッチをして、軽いウォーミングアップ。ベンチプレスを数回、ダンベルを持ち上げて、最後にランニングマシンで汗を流す。追い込むことはほとんどない。筋肉痛になることも稀だ。1時間以内には着替えも済ませ、ジムを後にする。

カフェでコーヒーを飲みながら、今日のニュースを読み返す。AIが仕事を奪うとか、少子高齢化が進むとか、未来への不安を煽るような記事ばかりだ。でも、僕は不思議と落ち着いている。なぜなら、僕は今日、ジムに行ったからだ。

ジムに行くことは、僕にとって、一種の儀式のようなものだ。汗を流し、身体を動かすことで、頭の中のモヤモヤが晴れていく。日々のストレスや不安が、汗と一緒に流れ落ちていくような感覚。それは、僕にとって、とても心地の良い時間なのだ。

ジムに通うことで、生活にメリハリが生まれた。仕事が終わってから、ジムに行くという目標があるから、ダラダラと残業をせずに済む。ジムで知り合った人たちとの他愛もない会話も、僕の心を癒してくれる。

記録は取らない。その日の気分で、トレーニングの内容を変える。たまに、昔のように追い込んでみることもある。でも、基本的には、無理をしない。

ジムに通うことは、僕にとって、趣味のようなものだ。映画を見たり、音楽を聴いたりするのと同じように、ジムに行くことは、僕の心を豊かにしてくれる。

もしかしたら、ジムに通うことは、僕にとって、一種の大義名分なのかもしれない。社会に貢献しているわけでもない、誰かの役に立っているわけでもない。そんな無力感に苛まれる日々の中で、ジムに行くことで、僕は「自分は健康のために努力している」という自己満足を得ることができる。

2026年。未来はすぐそこまで来ている。AIやロボットが、人間の仕事を奪っていくかもしれない。でも、人間が生きる上で、変わらないものがある。それは、健康であり、運動であり、そして、惰性だ。

惰性。それは、必ずしも悪いものではない。惰性があるからこそ、僕たちは、困難な状況でも、諦めずに前に進むことができる。惰性があるからこそ、僕たちは、変化の激しい社会の中で、自分らしさを保つことができる。

僕は、これからもジムに通い続けるだろう。明確な目標があるわけではない。ただ、惰性で。

夕暮れのオフィス街を歩きながら、僕は空を見上げた。曇り空は、いつの間にか晴れ上がり、夕焼け空が広がっていた。その光景は、まるで、僕の心の中を表しているかのようだった。

数日後、いつものカフェでコーヒーを飲んでいると、隣の席に座った若い女性二人の会話が聞こえてきた。

「ねえ、最近、ジムに通い始めたんだけど、全然続かなくてさ。」

「わかる!私も!最初はやる気に満ち溢れてたんだけど、すぐに飽きちゃった。」

「目標がないとダメなのかな?やっぱり、痩せるとか、身体を鍛えるとか、具体的な目標がないと続かないよね。」

僕は、思わず微笑んでしまった。彼女たちの悩みは、かつての僕と同じだった。

「目標なんてなくても、いいんじゃないかな。」

そう、心の中で呟いた。

「惰性でも、いいんじゃないかな。大切なのは、続けることだから。」

彼女たちは、僕の言葉に気づいていない。それでも、僕は満足だった。なぜなら、僕は、自分の経験を通して、一つの真理にたどり着いたからだ。

ジムに通うことは、目標達成のためだけではない。それは、自分と向き合い、心身を癒し、惰性を愛することでもある。そして、惰性こそが、僕たちを未来へと導いてくれるのかもしれない。

僕は、コーヒーを飲み干し、カフェを後にした。明日も、僕はジムに行く。惰性で。そして、時々、哲学する。それが、僕の生き方なのだから。

2026年1月。AIが進化し、社会が変化していく中で、僕は、今日も、惰性筋トレに励む。それは、僕にとって、ささやかな抵抗であり、未来への希望なのだ。そして、きっと、明日の僕も、同じように、ジムで汗を流しているだろう。

終わり。


※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。

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