📝 この記事のポイント
- 日曜日の朝、僕は都内にある小さなカフェで、少し冷めたカフェラテをすすっていた。
- 窓の外はどんよりとした曇り空で、吐く息が白く消えていく。
- 隣の席では、若いカップルがスマートフォンで何かを見ながら笑い合っている。
2026年1月25日。日曜日の朝、僕は都内にある小さなカフェで、少し冷めたカフェラテをすすっていた。窓の外はどんよりとした曇り空で、吐く息が白く消えていく。隣の席では、若いカップルがスマートフォンで何かを見ながら笑い合っている。その平和な光景を眺めながら、僕は数日前に体験した、些細だけれど妙に引っかかる出来事を思い出していた。
それは、いつものように満員電車に揺られて通勤していた時のことだった。東京駅のホームは、今日も人でごった返している。スーツ姿のサラリーマンや、大きなキャリーケースを引く旅行者、そして、これから夢を追いかけるのだろうか、大きなリュックを背負った若者たち。様々な人々が、それぞれの目的地を目指して足早に通り過ぎていく。
僕は、なんとか空いているスペースを見つけて、ドアの近くに体を押し込んだ。電車が動き出すと、押し寄せる人々の波に揉まれ、身動きが取れなくなる。そんな状況の中、僕の耳に、ある会話が飛び込んできた。
近くに立っていた、おそらく40代くらいのサラリーマン風の男性が、スマートフォンで誰かと電話をしている。「ああ、もしもし、今、静岡に着いたよ。うん、順調。会議には間に合うと思う。…え?お土産?ああ、分かった。何か買って帰るよ。」
その言葉を聞いた瞬間、僕は思わず聞き耳を立ててしまった。なぜなら、その男性が電話をしている場所は、明らかに東京駅のホームだったからだ。電車の発車を知らせるアナウンスや、周囲の人々の話し声が、はっきりと聞こえてくる。いくらなんでも、静岡駅のアナウンスではないだろう。
「今、静岡に着いた」
その言葉は、僕の頭の中でリフレインし始めた。彼は、一体誰に、何のために嘘をついているのだろうか?会議に遅刻しそうだから、相手を安心させるため?それとも、何か別の理由があるのだろうか?
カフェラテを飲み終え、僕は店を出た。駅に向かう途中、僕はその男性の「静岡駅午前七時の嘘」について、あれこれと考えを巡らせていた。
彼は、家族に電話をしていたのかもしれない。もしかしたら、単身赴任をしていて、週末だけ家族の元に帰ることにしているのかもしれない。でも、本当は仕事で帰れなくて、家族を悲しませたくないから、嘘をついた。
あるいは、恋人に電話をしていたのかもしれない。本当は、仕事で疲れてどこにも行きたくないけれど、恋人を喜ばせたいから、無理をして旅行に行くことにした。でも、出発するのが面倒になって、嘘をついてしまった。
もしかしたら、彼は自分自身に嘘をついていたのかもしれない。本当は、仕事も家庭も上手くいっていない。でも、それを認めるのが怖くて、周りの人に、そして自分自身に、嘘をついて生きてきた。
僕の想像は、どんどん膨らんでいく。でも、結局のところ、彼の嘘の真相は、誰にも分からない。それは、彼自身だけが知っている秘密なのだ。
電車に乗り、オフィスに向かう。窓の外を流れる景色は、相変わらず灰色だ。電車の揺れに合わせて、僕の思考も揺れ動く。
僕たちは、生きている中で、どれくらいの嘘をついているのだろうか?
小さな嘘から、大きな嘘まで。他人を傷つけないための嘘もあれば、自分を守るための嘘もある。時には、嘘をつくことで、人間関係が円滑に進むこともあるだろう。
でも、嘘は、いつか必ずバレる。そして、バレた時には、取り返しのつかないことになるかもしれない。
SNSが普及した現代社会において、僕たちは常に誰かと繋がっている。まるで、透明なガラス張りの部屋で生活しているようだ。自分の行動や考えが、常に誰かに監視されているような、そんな息苦しさを感じることもある。
だからこそ、僕たちは、SNSで自分を良く見せようとする。嘘をついて、理想の自分を演じようとする。でも、それは、本当に幸せなことなのだろうか?
オフィスに着き、パソコンを開く。今日も、たくさんのメールやメッセージが届いている。その中に、SNSの通知があった。僕は、無意識のうちに、スマートフォンを手に取っていた。
画面に表示されたのは、友人たちがアップした楽しそうな写真や動画だった。旅行に行った写真、美味しいものを食べている動画、そして、結婚式の写真。どれも、キラキラと輝いて見える。
僕は、その写真や動画を眺めながら、少しだけ羨ましい気持ちになった。自分も、もっと充実した生活を送りたい。もっと、幸せになりたい。
でも、本当にそうだろうか?
SNSにアップされた写真は、ほんの一部分に過ぎない。彼らの生活も、きっと、良いことばかりではないはずだ。
僕は、スマートフォンをデスクに置いた。そして、深呼吸をした。
僕は、誰かの目を気にする必要はない。嘘をついて、自分を良く見せる必要もない。
僕は、僕のままでいい。
夕方、仕事終わりに、僕は近所のバーに立ち寄った。カウンターに座り、バーテンダーにいつものジンリッキーを注文する。
「今日は、何かあったんですか?」バーテンダーが、僕の顔を見て尋ねる。
「ええ、まあ、色々ありましたよ。」僕は、曖昧に答えた。
バーテンダーは、何も言わずに、ジンリッキーを作ってくれた。グラスを傾け、一口飲む。ジンとライムの爽やかな香りが、口の中に広がる。
「あの、すみません。ちょっと、相談に乗ってもらってもいいですか?」僕は、意を決して、バーテンダーに話しかけた。
僕は、その日、東京駅で聞いた「静岡駅午前七時の嘘」について、バーテンダーに話した。そして、自分が感じた疑問や葛藤についても、正直に打ち明けた。
バーテンダーは、黙って僕の話を聞いてくれた。そして、僕が話し終わると、静かにこう言った。
「人は、誰でも嘘をつくことがあります。それは、決して悪いことではありません。嘘をつくことで、誰かを守ったり、自分を守ったりすることができるからです。大切なのは、嘘をつく理由と、その嘘が誰を傷つけるのかを考えることです。」
バーテンダーの言葉は、僕の心に深く響いた。
僕は、彼の言う通りだと思った。嘘は、必ずしも悪いものではない。問題は、嘘そのものではなく、嘘をつく動機なのだ。
「ありがとうございます。なんだか、少し楽になりました。」僕は、バーテンダーに礼を言った。
「どういたしまして。また、いつでも来てください。」バーテンダーは、優しい笑顔で答えた。
僕は、ジンリッキーを飲み干し、店を出た。夜空には、月が輝いていた。その光は、優しく、そして力強い。
僕は、空を見上げ、深呼吸をした。
僕は、これからも、嘘をつくかもしれない。でも、その時は、嘘をつく理由と、その嘘が誰を傷つけるのかを、しっかりと考えるようにしよう。
そして、できる限り、正直に生きていこう。
2026年1月25日。僕は、あの日の「静岡駅午前七時の嘘」のことを、きっと、ずっと忘れないだろう。それは、僕にとって、嘘について、そして、自分自身について考える、きっかけになった出来事だったからだ。あの嘘は、誰かを傷つけたかもしれないけれど、少なくとも、僕にとっては、良い影響を与えてくれたのだ。
翌日、僕は、SNSのアカウントを削除した。
別に、SNSが嫌いになったわけではない。ただ、僕は、もっと自分の時間を大切にしたいと思った。もっと、自分の気持ちに正直に生きたいと思った。
僕は、スマートフォンを閉じ、窓の外を眺めた。
空は、今日も晴れている。
そして、僕は、新しい一日を、新しい気持ちで迎えようと決意した。嘘のない、自分だけの物語を紡いでいくために。
いつか、誰かが僕の嘘に気づいたとしても、僕はそれを否定しないだろう。ただ、正直に、その理由を説明するだけだ。
そして、もし、僕の嘘が誰かを傷つけてしまったら、心から謝罪しよう。
それが、僕の選んだ生き方なのだから。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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