📝 この記事のポイント
- 都心のオフィス街は、相変わらず無機質なコンクリートジャングルだった。
- ビル風が容赦なく吹き付ける交差点で、僕は使い捨てマスクを深く被り直し、スマホの画面を睨んだ。
- 今日のランチは、駅前のエスニック料理屋にしよう。
2026年1月25日。都心のオフィス街は、相変わらず無機質なコンクリートジャングルだった。ビル風が容赦なく吹き付ける交差点で、僕は使い捨てマスクを深く被り直し、スマホの画面を睨んだ。今日のランチは、駅前のエスニック料理屋にしよう。珍しくパクチー欲が暴走している。
「あ、」
歩きスマホはいけない、と何度自分に言い聞かせたことか。案の定、目の前に現れたのは、ベビーカーを押す母親だった。危うくぶつかるところだった。
「すみません!」
反射的に頭を下げると、母親は少し驚いた顔で「大丈夫ですよ」と微笑んだ。ベビーカーの中には、眠たそうな顔をした赤ちゃん。その小さな命を守るように、母親はゆっくりと歩き出した。
僕は、その背中を見送りながら、自分の不注意を深く反省した。同時に、無性に自分の人生について考え込んでしまった。28歳。都内のIT企業でエンジニアとして働く。毎日、コードと向き合い、バグと格闘する日々。それなりに充実しているけれど、ふとした瞬間に、このままでいいのか、という漠然とした不安に襲われる。
ランチのエスニック料理屋は、相変わらず賑わっていた。ガパオライスを注文し、運ばれてくるのを待つ間、僕は再びスマホを取り出した。SNSを開くと、友人たちのキラキラした投稿が目に飛び込んでくる。結婚、出産、昇進…まるで人生の勝ち組レースに参加しているかのような眩しさ。
(僕も、そろそろ何か始めないと…)
焦燥感に駆られながら、僕はなんとなく音楽アプリを起動した。最近、Spotifyのおすすめプレイリストを漁るのがマイブームだ。なんとなく「シティポップ」で検索してみる。
すると、見慣れないプレイリストが目に留まった。「コーナン厳選!懐かしのシティポップコレクション」。
(コーナン…? あのホームセンターの?)
興味本位でプレイリストを開いてみると、予想外のラインナップに思わず吹き出してしまった。
1曲目は、反町隆史の「POISON」。
(いや、これはシティポップじゃないでしょ…GTO世代直撃ソングじゃん…)
2曲目は、アリスの「冬の稲妻」。
(え、フォークソング? 懐かしいけど、シティポップではない…)
その後も、本田美奈子、浅川マキ、テレサ・テン…と、ジャンルも年代もバラバラな楽曲が次々と流れてくる。確かに、どれも懐かしい名曲ばかりだけれど、僕がイメージするシティポップとはかけ離れている。
(これ、誰が選曲したんだ…? コーナンの担当者、シティポップの定義わかってる…?)
思わず、プレイリストのスクリーンショットを撮って、Twitterに投稿してしまった。「コーナンのシティポップコレクション、選曲がカオスすぎるw #シティポップとは #コーナン」
投稿後、すぐにリプライや引用リツイートが殺到した。「これはひどいw」「ある意味、攻めてる」「コーナンの担当者、昭和生まれ確定」など、共感とツッコミの声が溢れていた。
その中で、一つだけ気になるリプライがあった。「でも、このラインナップ、一周回ってアリかも。シティポップって、結局、定義曖昧だしね」。
(…確かに。)
冷静になって考えてみると、シティポップの定義って、ものすごく曖昧だ。一般的には、1970年代後半から1980年代にかけて流行した、都会的で洗練されたポップミュージックを指すことが多いけれど、その範囲は非常に広い。
例えば、山下達郎や竹内まりやのような、洗練されたサウンドの楽曲は、誰もがシティポップだと認めるだろう。しかし、松任谷由実や大瀧詠一のような、少しフォークやロックの要素が強い楽曲も、シティポップとして扱われることがある。
さらに、近年では、シティポップのリバイバルブームが起こり、新しい世代のアーティストたちが、シティポップの要素を取り入れた楽曲を制作している。その結果、シティポップの定義はますます曖昧になり、多様化している。
(もしかしたら、コーナンの担当者は、あえてその曖昧さを突こうとしたのかも…)
そう考えると、このカオスな選曲も、一つの解釈としてアリなのかもしれない。シティポップは、特定のジャンルや年代に限定されるものではなく、それぞれの人が持つ、それぞれの「都会的な音楽」のイメージを反映したものなのかもしれない。
その日の夜、僕は、コーナンのシティポップコレクションを、もう一度聴き直してみた。今度は、先入観を捨てて、それぞれの楽曲が持つ魅力をじっくりと味わってみた。
すると、不思議なことに、どの曲も心地よく感じられた。反町隆史の「POISON」は、都会の孤独を歌った歌詞が、妙に心に響いた。アリスの「冬の稲妻」は、青春時代の甘酸っぱい記憶を呼び起こした。本田美奈子の「Oneway Generation」は、力強い歌声が、僕に勇気を与えてくれた。
(もしかしたら、僕が求めていた「何か」は、こういうことなのかもしれない…)
SNSのキラキラした世界に焦りを感じるのではなく、過去の音楽に触れて、自分のルーツを再確認すること。都会の喧騒の中で、自分の内面と向き合い、本当に大切なものを見つけること。
それが、僕にとっての「シティポップ」なのかもしれない。
2026年1月25日。僕のシティポップの定義は、少しだけ変わった。それは、コーナンのカオスな選曲のおかげだった。
翌日、オフィスに向かう電車の中で、僕は、再び音楽アプリを起動した。今度は、コーナンのシティポップコレクションではなく、自分が本当に好きなアーティストのプレイリストを選んだ。
窓の外を眺めると、相変わらず無機質なコンクリートジャングルが広がっていた。しかし、僕の心は、昨日よりも少しだけ軽かった。
(今日も、一日頑張ろう…)
僕は、イヤホンから流れる音楽に身を委ねながら、新しい一日をスタートさせた。
終電間際の帰り道。いつものようにイヤホンで音楽を聴きながら、僕はふと空を見上げた。
夜空には、ポツンと月が浮かんでいた。
(シティポップって、夜のイメージがあるんだよな…)
なぜだろう。都会の夜景をバックに、少し寂しげなメロディーが流れるイメージ。それは、僕が子供の頃から抱いていた、漠然としたシティポップのイメージだった。
ふと、駅前のコンビニに立ち寄った。温かいコーヒーを買って、一口飲む。
(…あったかい。)
疲れた体に、コーヒーの温かさが染み渡る。
その時、コンビニの店内BGMで、聞き覚えのあるメロディーが流れてきた。
それは、竹内まりやの「Plastic Love」だった。
(あ…)
まるで、映画のワンシーンのように、僕の目の前に広がる光景が、スローモーションになった。
コンビニの店員、雑誌を立ち読みする若者、レジに並ぶサラリーマン…
それぞれの人が、それぞれの生活を抱えながら、都会の夜を生きている。
僕は、その光景を、ただぼんやりと眺めていた。
そして、気づいた。
(これが、シティポップの風景なのかもしれない…)
都会の喧騒の中で、孤独を感じながらも、前向きに生きようとする人々の姿。
それは、僕自身であり、僕の周りの人々であり、そして、この国で生きる、すべての人々の姿なのかもしれない。
僕は、コーヒーを飲み干し、再び歩き出した。
夜空には、相変わらず月が浮かんでいた。
その月の光は、都会の夜を優しく照らし、僕の心を温かく包み込んでくれた。
2026年1月25日。僕のシティポップの定義は、また少し変わった。
それは、コンビニで聴いた「Plastic Love」のおかげだった。
そして、僕は、これからも、シティポップを探し続けるだろう。
それは、音楽のジャンルを探す旅ではなく、自分自身の生き方を探す旅なのかもしれない。
なぜなら、シティポップは、僕にとって、単なる音楽ではなく、生き方そのものだから。
おわり。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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