📝 この記事のポイント
- 金曜日の夕方、僕は都内のIT企業で働くエンジニアだ。
- 定時を少し過ぎたオフィスは、まだちらほらと明かりが灯っている。
- 繁忙期というわけではないけれど、納期が近いプロジェクトがいくつか重なって、なんとなくピリピリとした空気が漂っていた。
2026年1月24日。金曜日の夕方、僕は都内のIT企業で働くエンジニアだ。定時を少し過ぎたオフィスは、まだちらほらと明かりが灯っている。繁忙期というわけではないけれど、納期が近いプロジェクトがいくつか重なって、なんとなくピリピリとした空気が漂っていた。
今日の晩ご飯は、前から気になっていた「麻辣湯」にしようと思っていた。きっかけは、Xで見かけた料理研究家リュウジさんのレシピ。一枚の画像にまとめられたそれは、素人目にも簡単そうに見えた。何より、「スープだけ覚えれば具は自由」という言葉に惹かれた。冷蔵庫の残り物を有効活用できるなら、これほど嬉しいことはない。
最寄りのスーパーに立ち寄ったのは、午後7時を回った頃だった。店内は仕事帰りの人々で賑わっていて、皆、晩ご飯の献立を頭の中で組み立てているのだろう。僕は、リュウジさんのレシピをスマホで開き、必要な材料をチェックしていく。
まずは、豚ひき肉。これは問題なく手に入った。次に、長ネギとニラ。これもクリア。問題は、花椒粉と五香粉だった。スパイスコーナーを隈なく探したけれど、どちらも見当たらない。店員さんに尋ねてみたけれど、「申し訳ありません、ただいま在庫を切らしておりまして…」という返事だった。
「花椒粉、五香粉、近所のスーパーになかった…」
Xに投稿されたリュウジさんのレシピに関する投稿を、数年前にも同じように思った人がいたのを思い出す。あの時と状況は変わっていない。
結局、花椒粉と五香粉の代わりに、ラー油と豆板醤を多めに使うことにした。まあ、多少味が変わっても、それはそれで面白いかもしれない。そう自分に言い聞かせながら、僕はスーパーを後にした。
アパートに帰り、早速麻辣湯の調理に取り掛かる。レシピ通りにスープを作り、冷蔵庫にあった白菜、えのき、豆腐を具材として加えた。ラー油と豆板醤を多めに加えたスープは、想像以上に辛くて刺激的だった。額にはうっすらと汗が滲み、体がポカポカと温まってくる。
一口、また一口と食べ進めるうちに、僕はふと、今日の出来事を振り返っていた。花椒粉と五香粉が手に入らなかったこと。代替品でなんとか乗り切ろうとしたこと。そして、Xで過去の投稿を思い出したこと。
僕たちの生活は、SNSによって大きく変わった。情報へのアクセスは格段に容易になり、欲しいものはすぐに手に入るようになった。まるで、魔法のランプを手に入れたかのように。
でも、本当にそうだろうか?
花椒粉と五香粉が手に入らなかったという、たった一つの出来事から、僕はそんなことを考えていた。
SNSは、確かに便利だ。でも、それはあくまでツールに過ぎない。僕たちは、そのツールに依存しすぎていないだろうか? いつでもどこでも情報にアクセスできる環境に慣れてしまい、自分の頭で考えることを放棄していないだろうか?
麻辣湯を食べながら、僕はそんなことを考えていた。
ふと、昔読んだ小説の一節を思い出した。それは、情報過多な社会に警鐘を鳴らす内容だった。主人公は、情報に溺れ、自分の感情を見失ってしまう。そして、最後に彼は、すべての情報を遮断し、自然の中で生きることを選ぶ。
もちろん、僕はそこまで極端なことをするつもりはない。SNSは、僕にとって大切な情報源であり、コミュニケーションツールでもある。でも、もう少し距離を置く必要があるかもしれない。
例えば、週末はスマホをできるだけ見ないようにするとか。図書館に行って、紙の本を読んでみるとか。あるいは、近所の公園を散歩して、季節の移り変わりを感じてみるとか。
そんなことを考えているうちに、麻辣湯はすっかり冷めてしまった。でも、体はまだポカポカと温かい。
食べ終わった食器を洗いながら、僕は明日の予定を立てていた。明日は、久しぶりに地元の友達と会うことになっている。彼は、僕とは真逆のタイプで、SNSとはほとんど縁がない。
彼と会って、色々な話をするのが楽しみだ。SNSでは得られない、生の声を聞きたい。彼の言葉から、何か新しい発見があるかもしれない。
翌日、僕はいつものように電車に乗って、待ち合わせ場所へと向かった。車内は通勤客でごった返していて、ほとんどの人がスマホを眺めている。
僕は、スマホを取り出すのをやめた。代わりに、窓の外を眺めることにした。
空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降り出しそうだった。でも、街路樹の緑は、雨に濡れてより一層鮮やかになるだろう。
そんなことを考えているうちに、電車は目的の駅に到着した。僕は、改札を抜け、駅前のカフェへと向かった。
カフェには、すでに友達が来ていた。彼は、僕を見つけると、にこやかに手を振ってくれた。
「久しぶりだな!」
彼の笑顔は、いつもと変わらず、明るくて元気だった。
僕たちは、近況報告をし合った。彼は、最近始めたガーデニングの話や、地元のイベントの話など、色々なことを話してくれた。
彼の話は、どれも新鮮で面白かった。SNSでは得られない、リアルな情報ばかりだった。
話を聞いているうちに、僕はふと、あることに気づいた。
彼は、SNSに依存していない。彼は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で感じたことを大切にしている。
彼は、僕よりもずっと豊かな人生を送っているのかもしれない。
カフェを出た後、僕たちは近所の公園を散歩することにした。公園には、たくさんの人がいて、思い思いに過ごしていた。
子供たちは、遊具で遊んだり、鬼ごっこをしたりして、元気いっぱいに走り回っていた。カップルは、ベンチに座って、楽しそうに話していた。お年寄りたちは、日向ぼっこをしたり、将棋を指したりして、のんびりと過ごしていた。
僕は、そんな光景を眺めながら、心が穏やかになるのを感じていた。
公園を散歩しているうちに、僕はまた、あることに気づいた。
公園には、SNSに依存している人は一人もいない。彼らは、目の前の風景を楽しみ、目の前の人と会話を楽しんでいる。
彼らは、僕よりもずっと幸せなのかもしれない。
家に帰り、僕はパソコンの電源を入れた。そして、SNSのアプリをすべて削除した。
もちろん、完全にSNSを断ち切るつもりはない。でも、もう少し距離を置く必要があるかもしれない。
僕は、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で感じたことを大切にしたい。
僕は、僕自身の人生を歩みたい。
2026年。AI技術はますます進化し、僕たちの生活はより便利になっているはずだ。自動運転車が街を走り、ドローンが荷物を配達する。仮想現実(VR)や拡張現実(AR)の技術も進化し、僕たちは自宅にいながらにして、世界中のあらゆる場所を体験できるようになるかもしれない。
しかし、そうした未来においても、僕たちは忘れてはならないことがある。それは、人間らしさだ。
AIにはできないこと、それは感情だ。喜び、悲しみ、怒り、そして愛。そうした感情こそが、人間を人間たらしめるものなのだ。
僕は、AI技術の進化を否定するつもりはない。しかし、それと同時に、人間らしさを大切にしたい。
僕は、自分の感情に正直に生きたい。僕は、自分の大切な人たちを愛したい。
僕は、そんな未来を願っている。
麻辣湯に使えなかった花椒粉と五香粉。それらは、僕にとって、少し先の未来について考えるきっかけになった。完璧な代替品は存在しなくても、自分なりの工夫で、きっと美味しい麻辣湯は作れる。そして、その過程こそが、僕を豊かにしてくれるのだ。
そして、きっと、いつか。近所のスーパーで、当たり前のように花椒粉と五香粉が手に入る日が来るだろう。でも、その時、僕はそれを当たり前だとは思わないだろう。
なぜなら、僕は、スパイスの不在と、そこから生まれた思考と、未来への希望を知っているから。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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