📝 この記事のポイント
- 2026年1月18日、都内の通勤電車は今日も満員だった。
- 押しつぶされた顔が窓ガラスに張り付き、それぞれの憂鬱を滲ませている。
- 僕はリュックを抱え込み、辛うじて自分のスペースを確保していた。
2026年1月18日、都内の通勤電車は今日も満員だった。押しつぶされた顔が窓ガラスに張り付き、それぞれの憂鬱を滲ませている。僕はリュックを抱え込み、辛うじて自分のスペースを確保していた。スマホを取り出し、ニュースアプリを開く。流れるように消費されていく事件や事故の羅列。その中に、ふと目を引く見出しがあった。
「ネットカフェで7622円踏み倒し60歳男性逮捕」
反射的に、数年前の自分を思い出した。あの頃の僕は、今よりもっとずっと、社会の歯車に上手く噛み合わなかった。
大学を卒業後、希望していたクリエイティブ系の職に就いたものの、理想と現実のギャップに打ちのめされた。連日の徹夜、パワハラまがいの上司、そして何よりも、自分が本当にやりたいことを見失っていく感覚。心が擦り減っていく音を聞きながら、僕は毎日、渋谷の雑踏に紛れて帰宅していた。
ある冬の夜、終電を逃した僕は、ふらふらと近くのネットカフェに足を踏み入れた。暖房の効いた空間、薄暗い照明、そして何よりも、誰にも邪魔されない個室。まるで砂漠で見つけたオアシスのようだった。
メニューを開き、僕は無意識のうちに一番高いカツカレーを注文していた。空っぽの胃袋に染み渡る油とスパイスの香り。久しぶりに、心と体が満たされる感覚だった。
しかし、現実は甘くない。財布の中身を確認すると、カツカレー代と、あと数時間分の利用料金がギリギリ。その日の僕は、数時間だけ暖を取って、始発で帰宅した。
逮捕された60歳男性は、「暖かい部屋で食事がしたかった」と供述したらしい。彼の気持ちは痛いほど理解できた。僕もあの時、もし手持ちのお金がなかったら、同じことをしていたかもしれない。
ネットカフェを出て、駅の階段を上りながら、僕は複雑な気持ちになった。彼の行為は確かに犯罪だ。しかし、7622円という金額、そして「暖かい部屋で食事がしたかった」という言葉の裏に隠された、彼の絶望や孤独を思うと、胸が締め付けられた。
彼はなぜ、生活保護を申請しなかったのだろうか? なぜ、誰かに助けを求めなかったのだろうか?
もしかしたら、彼は過去の僕と同じように、社会のシステムを信用していなかったのかもしれない。あるいは、プライドが邪魔をして、誰にも頼ることができなかったのかもしれない。
電車が駅に到着し、僕は流れに身を任せてホームに降り立った。目の前に広がるのは、相変わらず殺伐とした通勤風景。人々は無表情でスマホを操作し、誰一人として周りの人に目を向けようとしない。
僕は、コンビニで温かいおにぎりを二つ買った。一つは自分用、もう一つは、近くの公園でいつも鳩に餌をあげているおじいさんに渡そうと思った。
公園に着くと、おじいさんはいつもの場所に座っていた。彼は古びたベンチに腰掛け、黙々と鳩にパンくずをあげていた。
「おはようございます」
声をかけると、おじいさんは少し驚いたように顔を上げた。
「おはよう。今日はどうしたんだい?」
「これ、よかったらどうぞ」
僕はコンビニのおにぎりを差し出した。おじいさんは少し戸惑いながらも、それを受け取った。
「ありがとう。でも、悪いよ。お腹空いてるんじゃないのかい?」
「大丈夫です。実は、今朝ニュースでちょっと気になる事件があって…。それで、なんだか無性に誰かに何かしてあげたくなったんです」
僕はニュースの内容を簡単に説明した。おじいさんは黙って聞いていた。
「世の中、色々な人がいるからね。彼は彼なりの事情があったんだろう」
おじいさんはそう呟き、おにぎりの包みを開けた。
「それにしても、世の中はどんどん便利になっているのに、どうしてこうも生きづらいんだろうね」
おじいさんは、おにぎりを一口食べながら言った。
「昔は、もっと人と人との繋がりがあったような気がするんだ。困った時は、お互いに助け合って生きていた。今は、みんな自分のことで精一杯で、周りのことなんて気にも留めない」
おじいさんの言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。確かに、僕たちは便利さと引き換えに、大切な何かを失ってしまったのかもしれない。
SNSで繋がっているフォロワーは数百人、いや数千人いるかもしれない。でも、本当に困った時に頼れる人は何人いるだろうか? 僕は、無意識のうちに、バーチャルな繋がりばかりを求めて、リアルな人間関係を疎かにしてしまっていたのかもしれない。
オフィスに着くと、僕はパソコンに向かって仕事に取り掛かった。しかし、頭の中は、ネットカフェの男性のこと、おじいさんの言葉、そして、自分の過去の経験でいっぱいだった。
ふと、僕はSNSを開き、自分のアカウントでつぶやいた。
「誰かにとっての『暖かい部屋』になりたい」
それは、僕自身の心の叫びだった。
その日の夜、僕は、ネットカフェの男性について調べてみた。彼は、数年前に会社をリストラされ、その後、職を転々としていたらしい。生活保護を申請しようとしたこともあったが、色々な理由で断られてしまったという。
彼の人生は、まるでドミノ倒しのように、少しずつ、しかし確実に崩れていったのだ。
僕は、彼の境遇に深く共感すると同時に、無力感に苛まれた。自分にできることは何もないのか? ただ、ニュースを見て、同情するだけなのか?
その時、ふと、大学時代の恩師の言葉を思い出した。
「クリエイターの仕事は、問題を解決することではない。問題を提起することだ」
僕は、自分の無力さを嘆くのではなく、自分が持っているスキルを使って、この問題を多くの人に知ってもらうべきだ。
僕は、彼の事件をモチーフにした短編小説を書くことにした。彼の孤独、絶望、そして、ささやかな希望を描き、読者に何かを感じてもらうことを目指した。
物語は、ネットカフェの個室で、一人、冷たいインスタントラーメンを食べる男性の姿から始まる。彼は、過去の栄光、現在の苦悩、そして、未来への不安を抱えながら、ただひたすらに生きている。
物語の終盤、彼は、偶然出会った若い女性に、自分の過去を打ち明ける。女性は、彼の話に耳を傾け、優しく寄り添う。
二人は、お互いの境遇に共感し、ささやかな希望を見出す。物語は、二人が一緒に、暖かい部屋で食事をするシーンで終わる。
小説を書き終えた時、僕は、達成感と安堵感に包まれた。自分にできることは、ほんの小さなことかもしれない。でも、その小さな行動が、誰かの心を動かし、社会を変えるきっかけになるかもしれない。
2026年1月19日、僕は、完成した小説を、自分のブログに投稿した。
数日後、僕の小説は、SNSで拡散され、多くの人々の目に触れることになった。読者からは、共感の声、励ましの声、そして、批判の声が寄せられた。
しかし、何よりも嬉しかったのは、ネットカフェの男性の事件について、改めて議論が巻き起こったことだ。多くの人々が、彼の境遇に心を痛め、社会保障制度の問題点について考え始めた。
僕は、自分の行動が、ほんの少しでも、社会を良い方向に変える力になったことを信じたい。
コンビニのおにぎりの温もりは、僕の心を温め、誰かにとっての「暖かい部屋」になりたいという思いを強くさせた。
そして、それは、遠い場所で、同じように孤独を感じている誰かの心にも、きっと届いているはずだ。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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