📝 この記事のポイント
- 満員電車に揺られながら、僕はスマートフォンを片手に今日のニュースをチェックしていた。
- いつものように、AIが選んだニュースの羅列が表示される。
- 「NASAが南極で発見した四角い氷山がすごい…」。
2026年1月16日。満員電車に揺られながら、僕はスマートフォンを片手に今日のニュースをチェックしていた。いつものように、AIが選んだニュースの羅列が表示される。その中に、やけに目を引く記事があった。「NASAが南極で発見した四角い氷山がすごい…」。
(またか…)
正直、最初はそう思った。最近、SNSでバズるニュースの多くは、大袈裟な見出しと、煽情的な言葉で彩られている。クリックしてみると、案の定、四角い氷山の写真が大きく表示されていた。確かに、その氷山は四角かった。まるで巨大な豆腐か、誰かがゲームのステージを作ったかのような、不自然なほど整った形をしていた。
コメント欄は案の定、大喜利状態だった。「誰だよデカイ豆腐浮かべたのは」「セルが天下一武道会しようとしてるな」。まあ、そうなるだろうな、と僕は苦笑した。でも、なぜかその写真から目が離せなかった。
僕は、都内の小さなデザイン事務所で働く、28歳のデザイナーだ。毎日、クライアントの要望に応え、ひたすら画面に向かってデザインを修正する日々。創造的な仕事のはずなのに、いつの間にか、決められた枠の中で、効率よく成果を出すことばかりを考えている。
その日は特に、朝からトラブル続きだった。クライアントからの無理な修正依頼、上司からのプレッシャー、そして、思うように進まないプロジェクト。まるで、四角い氷山のように、僕の心も角ばって、疲弊していた。
昼休み、いつものカフェでサンドイッチをかじりながら、僕は再びその氷山の写真を見た。今度は、少し違った感情が湧き上がってきた。
(自然にできたものなのか…)
記事には、氷の割れ方や風雪の影響が形状形成に関係していると書かれていた。つまり、誰かが意図的に作ったわけではなく、自然の力が偶然、この完璧な四角形を作り出したのだ。
(すごいな…)
僕は、ふと、自分の仕事のことを考えた。僕のデザインは、常に誰かの意図によって形作られる。クライアントの意図、上司の意図、そして、僕自身の保身の意図。純粋に美しいものを作りたい、という気持ちは、いつの間にか、どこかに置き忘れてきてしまった。
カフェの窓から見える景色は、いつもと変わらない。コンクリートの建物、行き交う人々、そして、空を覆う灰色の雲。その景色の中に、四角い氷山の白い姿を想像した。それは、まるで、僕の心を照らす一筋の光のようだった。
その日の帰り道、僕は久しぶりに、大学時代の友人、コウタに電話をした。コウタは、大学で美術を専攻し、卒業後はフリーランスのアーティストとして活動している。彼は、僕とは対照的に、自分の信じる道をひたすら追求している。
「コウタ?久しぶり。元気にしてるか?」
電話に出たコウタの声は、いつもと変わらず明るかった。「ああ、元気だよ。どうしたんだ、急に?」
僕は、今日見た氷山の写真のことを話した。そして、自分の仕事に対する迷いや葛藤を、正直に打ち明けた。
コウタは、しばらく黙って聞いていた。そして、静かに言った。「お前さ、結局、何が作りたいんだ?」
その言葉は、僕の胸に深く突き刺さった。何が作りたいのか。僕は、いつの間にか、その一番大切なことを忘れてしまっていた。
「四角い氷山か…面白いな。自然って、本当にすごいよな。意図しないものが、一番美しい形になることもあるんだから」
コウタは、そう言って笑った。「お前もさ、もっと自由に作ればいいんだよ。誰かの意図なんて気にしないで、自分が本当に作りたいものを、作ればいいんだ」
その夜、僕は久しぶりに、自分の部屋で絵を描いた。クライアントからの依頼ではなく、誰のためでもなく、ただ、自分が描きたいものを描いた。下手くそな絵だったけど、描いているうちに、心が軽くなっていくのを感じた。
翌日、僕は上司に、思い切って自分の意見を伝えてみた。最初は、案の定、反発された。でも、僕は諦めなかった。自分の考えを、論理的に、そして、熱意を持って説明した。
すると、上司は、少し驚いた顔をして、言った。「お前、最近、少し変わったな。まあ、そこまで言うなら、やってみろ」
その日から、僕は少しずつ、自分のデザインに、自分の個性を表現できるようになった。もちろん、クライアントの要望を無視するわけではない。でも、自分の意見を積極的に提案し、より良いものを作るために、努力するようになった。
数週間後、僕が担当したプロジェクトが、無事に成功した。クライアントは、僕のデザインを高く評価し、次のプロジェクトも依頼してくれた。
僕は、その時、ようやく気づいた。自分のデザインは、誰かの意図によって形作られるものではなく、自分自身の情熱と創造性によって形作られるものなのだ。
2026年1月16日から、数ヶ月が経った。あの四角い氷山のニュースは、もう誰も話題にしなくなった。でも、僕にとっては、忘れられない出来事だった。
ある日、僕は、再びあのカフェに行った。いつものように、サンドイッチをかじりながら、窓から見える景色を眺めていた。
ふと、目に留まったのは、カフェの前に置かれたプランターだった。そこには、四角い鉢植えに、小さな多肉植物が植えられていた。
僕は、その多肉植物をじっと見つめた。それは、まるで、あの四角い氷山のミニチュア版のようだった。
(そうだ…)
僕は、心の中で呟いた。「僕たちは、誰でも、自分の心の中に、四角い氷山を持っているんだ。そして、その氷山は、いつか、必ず、美しい形になる」
僕は、多肉植物にそっと触れた。その葉は、小さく、そして、力強く生きていた。
その時、僕は、ようやく、自分の心の中にあった迷いや葛藤が、すべて消え去ったのを感じた。
2026年1月16日。あの四角い氷山は、僕に、大切なことを教えてくれた。それは、自分自身の情熱と創造性を信じること。そして、どんな困難があっても、諦めずに、自分の道を歩むこと。
僕は、これからも、自分の心の中にある四角い氷山を、大切に育てていきたい。そして、いつか、誰かの心を照らすような、美しいデザインを作り出したい。
あの四角い氷について。それは、僕の人生を変えた、小さな、しかし、大きな出来事だった。
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※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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