『適当』に心を委ねてみたら、私の日常は少しだけ変わった

📝 この記事のポイント

  • 私はこれまで「適当」という言葉に、どこか逃げ腰だった。
  • 「適当でいいよ」と言われても、額面通りには受け取れない。
  • 相手の顔色を伺い、「本当はどうしてほしいんだろう?」と深読みし、結局は無難な選択肢を探し回る。

私はこれまで「適当」という言葉に、どこか逃げ腰だった。「適当でいいよ」と言われても、額面通りには受け取れない。相手の顔色を伺い、「本当はどうしてほしいんだろう?」と深読みし、結局は無難な選択肢を探し回る。それは相手への気遣いであり、日本社会に根付く「遠慮」という暗黙のルールに忠実な生き方だった。でも、心のどこかでは、その「遠慮」が私を息苦しくさせているとも感じていたんだ。そんなある日、友人から「〇〇のランチ、適当に決めておいて!」と連絡が来た。いつもなら候補をいくつか挙げるところだけど、ふと、どこかで読んだ「適当を真に受けて最高級の肉を頼んだ話」が頭をよぎった。今回は、いつもの私を捨てて、この「適当」を文字通り受け止めてみようか。そんなちょっとした反骨心が、私の日常にささやかな変化をもたらすことになった。

目次

最初の印象

「適当」という言葉を文字通り受け止める、というのは想像以上に勇気がいることだった。まず、相手が本当に「なんでもいい」と思っているのかという疑念が拭えない。もし、私が選びたいものを本当に選んでしまって、相手が「え、それ…?」という顔をしたらどうしよう。そんな不安が先行して、なかなか一歩を踏み出せないでいた。自分から「適当でいいよ」と言うときも、相手が本当に適当にしてくれたら、もしかしたら自分の期待と違う結果になるかもしれない、という一種の責任転嫁のような気持ちがあったのも正直なところ。この言葉は、便利だけど、同時に人間関係における繊細な地雷原でもあるんじゃないかって、勝手にハードルを上げていたんだ。

実際に使ってみて

まずはランチの件。普段なら相手の好みを考慮しつつ、予算も考えて数店舗ピックアップするところを、今回は「今の私が一番食べたいもの」を基準に、迷わずエスニック料理の店を選んでみた。友人は「お、意外と攻めたね!」と笑いながらも、美味しそうに食べてくれて一安心。
別の日には、友人の誕生日プレゼント選びで「適当でいいよ」と言われた。「じゃあ、本当に私が渡したいものにするね」と、普段なら絶対に選ばないような、少し個性的な雑貨を選んだら、これが大ヒット。「私のこと、よく分かってるね!」と大喜びしてくれて、驚いた。
逆に、私が「適当でいいよ」と伝えてみた場面もあった。部屋の模様替えを手伝ってくれた友人に「家具の配置、適当でいいよ」と伝えたら、彼女は私の部屋の広さや家具の色味を考慮して、想像以上に洗練された配置を提案してくれた。

良かったところ

  • 相手の言葉の裏を探る無駄な思考が減り、気持ちがすごく楽になった。深読みする癖がなくなって、コミュニケーションがシンプルになった感覚。
  • 物事を決めるまでの時間が圧倒的に短縮された。選択肢が多すぎると逆に迷ってしまう私にとって、これは大きなメリットだった。
  • 意外な発見や、新しい体験に繋がったこと。自分の好みで選んだお店が大当たりだったり、相手の「適当」が創造性を引き出したり、予測不能な面白さがあった。

気になったところ

  • まれに、相手が本当に「どうでもいい」と思っていると誤解されるリスクはゼロではないと感じた。特に初めて会う人や、まだ関係性が浅い相手には注意が必要かもしれない。
  • 相手が「適当でいいよ」と言いながら、実は明確なイメージを持っていた場合、その期待を裏切ってしまう可能性もある。幸い、私の場合は一度もなかったけれど、可能性としてはある。

どんな人に向いてる?

この「適当」との新しい付き合い方は、きっとこんな人におすすめできると思うんだ。

  • 優柔不断で、物事を決めるのにいつも時間がかかってしまう人。
  • 周囲の顔色を伺いすぎて、心身ともに疲れてしまう人。
  • 日常にもう少し刺激や、新しい発見を求めている人。
  • 完璧主義を手放して、もっと肩の力を抜きたいと考えている人。

もしあなたが、私と同じように「適当」という言葉に振り回されていると感じるなら、一度立ち止まって、その言葉が持つ本当の意味や可能性について考えてみるのもいいかもしれない。

使い続けて数ヶ月の今

「適当」という言葉を文字通りに受け止めること、あるいは使うことに対する抵抗感は、すっかり薄れた。以前は「適当」に漠然とした不安を感じていたけれど、今ではその言葉が持つ「適切に」「柔軟に」というポジティブな側面を信じられるようになった。人との関係性も、以前よりずっと自然体になった気がする。相手の言葉をそのまま受け取ることで、余計な摩擦が減り、むしろ信頼関係が深まった場面も多かった。肩の力が抜け、心に余裕が生まれたことが、何よりも大きな収穫だった。

まとめ

「適当」という言葉は、曖昧で、時には無責任にも聞こえるかもしれない。でも、その本質は「その場に最もふさわしい選択をする」という意味なのだと、私はこの数ヶ月で痛感した。それは、相手の言葉を信頼し、自分自身の直感を信じることにも繋がる。私たちが日頃から無意識に縛られている「遠慮」というルールを少しだけ緩めて、言葉の持つ本来の力に身を任せてみる。たったそれだけで、コミュニケーションはもっとシンプルに、そして人間関係はもっと豊かに、広がるのかもしれない。

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