僕が『適当』という言葉と真剣に向き合ってみた話

📝 この記事のポイント

  • 友人に「30分くらい遅れる、ごめん、ごちそうするから先に適当に食べてて」と連絡が来た人が、「この店で一番グラム単価が高い肉ください」と注文した、っていうやつ。
  • 写真に映る美しい霜降りの肉を見て、思わず声を出して笑っちゃった。
  • あの話は、僕が今までずっと曖昧にしてきた「適当」という言葉に、一つの明確な解像度を与えてくれた気がする。

僕もあのXの投稿、見たんだよね。友人に「30分くらい遅れる、ごめん、ごちそうするから先に適当に食べてて」と連絡が来た人が、「この店で一番グラム単価が高い肉ください」と注文した、っていうやつ。写真に映る美しい霜降りの肉を見て、思わず声を出して笑っちゃった。シャトーブリアン、すごいよね。あの話は、僕が今までずっと曖昧にしてきた「適当」という言葉に、一つの明確な解像度を与えてくれた気がする。だって、僕ならきっとカルビとかハラミとか、無難なところを選んで待ってるだろうから。

あの投稿を見て以来、僕の中で「適当」という言葉がざわざわし始めたんだ。今まで、適当って「なんとなく」「まあこれでいいか」っていう、どこか遠慮がちなニュアンスで使っていたけれど、本来の意味は「適切に事に当たる」だもんね。つまり、その場にふさわしい、最も良い選択をする、ということ。そうか、じゃあ最高の肉を選ぶのも、確かに「適当」なのか。この気付きが、僕の日常を変える小さなきっかけになったんだ。

目次

最初の印象

僕にとって「適当」って、ずっとグレーゾーンな言葉だった。何かを頼まれた時も「適当でいいよ」って言われると、逆に一番困るんだよね。良かれと思って選んだものが、相手の期待と違ったらどうしよう、とか。だからいつも、無難なところを探したり、ちょっと控えめにするのがマイルールだった。まさに、あの投稿のリプライにあった「遠慮」の塊だったってわけ。

でも、あのシャトーブリアンの話は、僕のその「適当」観をガラッと変えるきっかけになった。「あ、そうか。『適当』って、本来は『最も適切』って意味だったんだ」って、頭をガツンと叩かれたような衝撃だったね。それまでの僕の「適当」は、単なる手抜きとか、考えないことの言い訳になっていたのかもしれないって、ハッとさせられたんだ。

実際に使ってみて

それから僕、ちょっと意識を変えてみたんだ。例えば、会社の先輩に「このデータ、適当にまとめておいて」って言われた時。今までは、無難にグラフをいくつか入れて、テキストで補足する、くらいの感覚だったんだけど、その時は「先輩が一番何を求めているか」を真剣に考えてみた。きっと、会議で結論を出すための材料になるような、ぱっと見て分かりやすいインパクトのある資料だろうって。だから、あえて絞り込んで、最も重要な数字だけを大きく見せたり、結論を先に提示したりしてみたんだ。ちょっとドキドキしたけどね。

あとは、友人と出かける時に「お店、適当に探しておいて」って言われた時も。今までは、とりあえず近場の有名店をいくつかピックアップする程度だったけど、その時は友人の好みや最近の話題を思い出して、「きっと喜んでくれるのは、あそこの隠れ家カフェだろうな」とか、「最近疲れ気味だから、落ち着ける和食がいいかな」とか、じっくり考えて選んでみたんだ。

良かったところ

この「適当」を「最適解」と捉えるようにしてから、いくつか良いことがあったんだ。

  • 思考が深まったこと

まず、何よりも自分の思考が深まったことかな。以前は「適当」って言われたら思考停止してたんだけど、今は「じゃあ、何が一番適切なんだろう?」って、まず考えるようになった。これは大きな変化だったね。相手の意図を汲み取ろうと深く考える癖がついたんだ。

  • コミュニケーションが活性化したこと

次に、意外にもコミュニケーションが活性化したんだ。例えば、カフェで席を選ぶ時も「広々してるし、向こうの景色もいいからここにしたよ」って具体的に説明するようになって。そうすると相手も「いいね!」って喜んでくれるし、そこから会話のきっかけが生まれたりする。

  • 自分の選択に自信が持てるようになったこと

そして、これが一番大きいかもしれないんだけど、なんかね、自分の選択に自信が持てるようになったんだ。遠慮して選んだものって、後から「これで良かったのかな」ってモヤモヤするけど、ちゃんと考えて「これが一番適当だ!」って選んだものは、後悔がないんだよね。

気になったところ

もちろん、いつも上手くいくわけじゃない。たまに「え、そこまでやる?」みたいな、相手が想定する「適当」の範疇を越えてしまう時もあったよ。その時はちょっと気まずい空気になったりすることもあったかな。

あとはやっぱり、長年の染み付いた「遠慮」の癖ってなかなか抜けないんだよね。特に、相手が目上の人だったり、初対面の人だったりすると、「適当に」って言われても、なかなか「これぞ最適解!」みたいな大胆な選択はできないことが多い。心のどこかで「やりすぎたら失礼かな」って思っちゃうんだ。まだ、その辺のバランスは模索中かな。

どんな人に向いてる?

この「適当」を「適切」と捉える考え方は、特に「適当でいいよ」って言われると逆に困っちゃう僕みたいな人にはすごくおすすめしたいな。だって、曖昧な指示に振り回されることが減るからね。

あとは、もっと相手とのコミュニケーションを深めたい人にもいいと思う。相手の言葉の裏にある意図を一生懸命考えようとするから、結果的に相手への理解も深まるはず。それに、自分の選択にちょっと自信が欲しいなって時も、ぜひ試してみてほしいな。日々の小さな決断から、きっと変われると思うよ。

使い続けて数ヶ月の今

この習慣を始めてから、もう数ヶ月が経ったんだけど、僕の日常は以前よりもずっとクリアになった気がする。言葉の奥にある意味を考える習慣がついたことで、曖昧な指示にも以前ほど戸惑わなくなったんだ。もちろん、相変わらず「遠慮」しちゃう時もあるけど、それでも「これが本当に適切かな?」って一旦立ち止まって考えることができるようになった。なんだか、コミュニケーションの「解像度」が上がったような感覚かな。

あのシャトーブリアンの話は、僕に「適当」という言葉の本当の面白さを教えてくれた。それは単に贅沢をすることじゃなくて、言葉を真摯に受け止め、その場の最適解を追求する姿勢なんだ。僕らはいつも、相手の気持ちを推し量って、時に自分の意見を飲み込んだり、無難な選択をしたりしがちだけど、たまには「適当」という言葉を文字通り受け止めて、思いっきり「適切」を選んでみるのもいいんじゃないかな。きっと、これまで見えなかった景色が広がって、人間関係ももっと面白くなるはずだから。

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