📝 この記事のポイント
- 2026年1月13日、いつものように満員電車に揺られていた。
- 正確には、揺られるというより押し込められるに近い。
- 肩と肩がぶつかり、誰かの息遣いが首筋にかかる。
2026年1月13日、いつものように満員電車に揺られていた。正確には、揺られるというより押し込められるに近い。肩と肩がぶつかり、誰かの息遣いが首筋にかかる。この閉塞感と無機質な空間が、週の始まりを告げる憂鬱を加速させる。
スマホを取り出し、ニュースアプリを開く。トップ記事は、新型ウイルスの変異株による感染拡大と、それに対する政府の対応の遅れを批判する記事だった。2020年から続くパンデミックは、人々の生活様式だけでなく、価値観までも大きく変えてしまった。リモートワークが普及し、人と直接会う機会は減り、SNSでの繋がりがより重要になった。便利になった反面、孤独感や不安感も増幅されている気がする。
ふと、車窓の外に目をやる。池袋の雑多な風景が、コンクリートジャングルの中にわずかに残された緑と混ざり合っている。その中に、ひときわ目立つ看板を見つけた。「角海老」。
一瞬、海鮮料理店だと思った。新鮮な魚介類を使った料理に舌鼓を打ち、冷酒をくいっと煽る。そんな想像を膨らませながら、看板の文字を凝視する。しかし、よく見ると、どこか雰囲気が違う。料亭のような、少し古めかしい佇まい。海鮮料理店のイメージとはかけ離れている。
その違和感が、妙に引っかかった。
数日後、池袋で友人のアヤと待ち合わせをした。アヤは大学時代からの友人で、今はIT企業でバリバリ働くキャリアウーマンだ。カフェで近況報告をしながら、あの日の「角海老」の話をしてみた。
「角海老? ああ、あれね」
アヤは笑いながら言った。
「知ってるよ。ソープランドでしょ。池袋じゃ結構有名だよ」
ソープランド。予想外の言葉に、私は言葉を失った。海鮮料理店だと思い込んでいた自分が、急に恥ずかしくなった。
「え、そうなの? 全然知らなかった…」
「まあ、知らない人もいるよね。でも、角海老って、渋谷にもあるんだよ。そっちは老舗らしいけど」
アヤは、まるで知識をひけらかすかのように、次々と情報を教えてくれた。
「しかも、松戸には宝石店とかボクシングジムとか、角海老の系列店があるらしいよ。なんか、すごいよね」
ソープランド、老舗、宝石店、ボクシングジム。一見すると、全く関係のないものが、「角海老」という名前で繋がっている。その奇妙な組み合わせに、私は強い興味を抱いた。
その夜、家に帰ってから、インターネットで「角海老」について調べてみた。すると、様々な情報が出てきた。渋谷の老舗は歴史のある料亭で、政財界の有力者も利用していたという。松戸の宝石店は、地元で評判の店らしい。そして、ボクシングジムは、プロボクサーを育成し、数々のチャンピオンを輩出しているという。
しかし、やはり一番多く情報があったのは、池袋のソープランドだった。利用者の口コミや体験談、従業員のインタビュー記事など、様々な情報が溢れかえっていた。
「角海老」という屋号は、吉原の妓楼を連想させるという意見もあった。確かに、どこか古風で艶やかな響きがある。
私は、なぜ「角海老」という名前が、これほどまでに多岐にわたる事業に使われているのか、知りたくなった。
数週間後、私は松戸の宝石店「角海老」を訪れた。店内は、煌びやかな宝石で埋め尽くされ、洗練された雰囲気が漂っていた。店員に「角海老」という名前の由来について尋ねてみたが、明確な答えは得られなかった。
「昔からこの名前でやっているので、詳しいことはわからないんです」
店員は、申し訳なさそうに答えた。
その後、私はボクシングジム「角海老」にも足を運んだ。リングでは、若いボクサーたちが汗を流し、激しいトレーニングに励んでいた。ジムのオーナーに話を聞いてみたが、やはり名前の由来はわからなかった。
「うちのジムは、会長が『角海老』という名前が好きでつけたんだ。それ以上のことは、俺も知らないよ」
オーナーは、豪快に笑いながら答えた。
池袋のソープランド、渋谷の老舗、松戸の宝石店とボクシングジム。「角海老」という名前は、それぞれの場所で、異なる意味を持ち、異なる歴史を刻んでいる。
私は、それぞれの「角海老」を訪ねるうちに、現代社会の複雑さ、多様性を改めて感じた。表面的には全く異なるものが、根底では繋がっている。そして、その繋がりは、簡単には理解できない。
SNSを開けば、日々、様々な情報が流れ込んでくる。フェイクニュース、炎上、誹謗中傷。情報過多の時代に、私たちは何を信じればいいのか、何を大切にすればいいのか、わからなくなることがある。
しかし、それぞれの「角海老」を訪ねる中で、私は、それぞれの場所で生きる人々の熱意、努力、そして、それぞれの物語に触れることができた。
情報に踊らされるのではなく、自分の目で見て、自分の耳で聞いて、自分の心で感じる。それが、現代社会を生き抜く上で、最も大切なことなのかもしれない。
2026年1月13日。あの日の満員電車の中で見つけた「角海老」の看板は、私に、現代社会の複雑さ、多様性、そして、生きる意味を問いかけていた。
そして、その問いかけは、これからもずっと、私の心の中で響き続けるだろう。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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