📝 この記事のポイント
- 満員電車に揺られながら、私はまるで圧縮されたきゅうりみたいだと感じていた。
- 暖房の効きすぎた車内は、蒸し暑さと人々の熱気でむんむんしている。
- スマホの画面には、相変わらずAIに関するニュースがずらり。
満員電車に揺られながら、私はまるで圧縮されたきゅうりみたいだと感じていた。2026年1月8日、水曜日の朝。暖房の効きすぎた車内は、蒸し暑さと人々の熱気でむんむんしている。スマホの画面には、相変わらずAIに関するニュースがずらり。「雇用喪失」「著作権問題」…どれもこれも、もう聞き飽きた話だ。毎日毎日、同じような情報に埋もれて、正直、ちょっと疲れていたのかもしれない。
オフィスに着いて、いつものようにコーヒーを淹れる。インスタントの香りが、ほんの少しだけ心を落ち着かせてくれる。デスクに座り、届いたメールの山を一つずつ処理していく。そんな中、ふとカレンダーに目をやると、手書きで「きゅうり」とだけ書いてある。最初は意味がわからなかったけど、すぐに思い出した。先週末、実家から大量に送られてきた、あのきゅうりのことだ。母が丹精込めて育てた、瑞々しくて美味しいきゅうり。食べきれない分は、浅漬けにでもしようと、ベランダに干しておいたはずだった。
「…もしかして、まだ干しっぱなし…?」嫌な予感がした。
最初の印象
急いでベランダに出てみると、そこにあったのは、もはや「きゅうり」と呼ぶにはあまりにも痛ましい姿だった。真冬の太陽と冷たい風に3日間もさらされ続けたきゅうりは、緑色を失い、しわくちゃで、まるでミイラ。カチカチに乾燥して、触ると軽い音がする。
「ごめん…」思わず、きゅうりに謝っていた。半日だけ水分を飛ばすつもりが、完全に忘れて放置してしまったのだ。この姿は、かつて記事で読んだあるアーティストの作品を彷彿とさせた。その人は、日常生活で忘れ去られた物たちを素材にアートを制作しているという。公園に落ちていた錆びた缶、道端に捨てられていたビニール傘、そして、干からびたきゅうり。アーティストは言う。「忘れ去られた物たちには、それぞれの物語がある」と。私のベランダのきゅうりも、きっと3日間の物語を秘めているのだろう。それは、まるで現代社会の中で、誰かに忘れ去られ、置き去りにされた存在を象徴しているかのようだった。
私がきゅうりと向き合って
この干からびたきゅうりを前に、私は色々なことを考えさせられた。満員電車で眉間にシワを寄せるサラリーマン、AIの進化に不安を抱える人々、そして私自身。私たちは皆、目に見えないプレッシャーに押しつぶされそうになりながら、日々を生きている。SNSを開けば、誰もがキラキラした日常を投稿しているけれど、それはきっと、切り取られた一面に過ぎない。その裏側には、不安や孤独を抱えている人も多いはずだ。
私もまた、SNSで「楽しかったこと」「美味しかったもの」をシェアすることがある。でも、それは私が表現できる、ほんの一部分に過ぎない。仕事のこと、将来のこと、人間関係の悩み。そういった本当の気持ちは、なかなか言葉にできないでいる。このきゅうりが教えてくれたのは、そういった「忘れ去られがちな感情」や「見過ごされがちな現実」に、もう一度目を向けることの大切さだった。
きゅうりから得た3つの気づき
- 日常に潜む物語の発見
放置されてしまったきゅうりにも、3日間という時間の経過と、そこに存在したことの証が刻まれていた。普段見過ごしてしまうような、何気ない日常の風景や物の中にこそ、心に響く物語やメッセージが隠されているのだと感じた。
- 完璧ではない自分への肯定
きゅうりを忘れてしまったことは、少し罪悪感があったけれど、これも私の一面だ。SNSで完璧な自分を演出しようとするのではなく、失敗や不完全さも含めて、ありのままの自分を受け入れることの重要性に気づかされた。
- 立ち止まることの大切さ
情報の洪水の中で、私たちは常に前に進むことを求められている。しかし、たまには立ち止まり、忘れ去られたものや、自分の心の奥底にある感情に目を向ける時間を持つこと。それが、本当の豊かさに繋がるのだと思った。
私が考えさせられたこと
- 情報過多社会における「見過ごし」
AIの進化や国際情勢など、毎日膨大な情報が押し寄せる現代において、本当に大切なことや、心に響く小さな出来事を見過ごしてしまうことが多いのではないか。きゅうりを忘れたように、私たち自身の心の声も忘れてしまっているのかもしれない。
- SNSが作り出す「理想」と現実のギャップ
SNSで発信されるキラキラした日常は、多くの人にとって憧れの対象だ。しかし、その「理想」を追い求めるあまり、現実の自分や抱える不安を隠し、孤独を感じている人も少なくないのではないかと、改めて考えさせられた。
こんな人に、この「きゅうりの物語」を届けたい
このきゅうりの物語は、日々の忙しさに流され、自分らしさを見失いそうになっているあなたに、きっと響くはず。SNSのタイムラインを眺めて、何となく疲れてしまっている人。日常の中に、何か新しい発見や意味を見出したいと思っている人。そして、誰かに忘れ去られた気持ちになったことがある、そんなあなたにこそ、この小さなきゅうりからのメッセージを受け取ってほしい。
きゅうりと出会って数日経った今
あのミイラきゅうりと出会って数日。私は、少しだけ変わった気がする。ベランダでひっそりと佇んでいたきゅうりは、今も私のデスクの隅に置かれている。もちろん、食べられるわけではないけれど、見るたびに、あの日の気づきを思い出させてくれる。以前よりも、道端の小さな花や、空に浮かぶ雲の形に目を留めるようになった。SNSの投稿も、以前ほど「いいね」の数や見栄えを気にしなくなった。
それは、まるで心のフィルターが新しくなったような感覚だ。完璧ではないけれど、等身大の自分を受け入れ、日常のささやかな瞬間にこそ、心を揺さぶられる物語が隠されていると信じられるようになった。あの日、たった一本の忘れ去られたきゅうりが、私の心に小さな、だけど確かな光を差し込んでくれたのだ。
三日月のきゅうりのこと。それは、忘れられたものの中に、忘れられないほどの物語があることを教えてくれた、私の心の居場所だ。
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