📝 この記事のポイント
- 都心へ向かう通勤電車の窓から見える景色は、いつもと変わらず灰色がかって見えた。
- 年末年始の喧騒が嘘のように、人々は無表情でスマホを眺め、あるいはうつむき加減で眠っている。
- 私もその一人で、手に持った電子書籍リーダーを漫然とスクロールしていた。
2026年1月6日。都心へ向かう通勤電車の窓から見える景色は、いつもと変わらず灰色がかって見えた。年末年始の喧騒が嘘のように、人々は無表情でスマホを眺め、あるいはうつむき加減で眠っている。私もその一人で、手に持った電子書籍リーダーを漫然とスクロールしていた。
最近、どうも集中力が続かない。ニュースサイトを開けば、AIの進化、気候変動、高齢化社会といった、漠然とした不安を煽るような情報ばかりが目に飛び込んでくる。まるで、輪郭のぼやけた塗り絵のようで、どこから手を付けていいのか分からない。
ふと、隣に立っていた若い女性が、大きなリュックから何かを取り出した。それは、使い込まれたスケッチブックだった。彼女は、ペンを取り出し、窓の外の景色をスケッチし始めた。電車の揺れに合わせて、時折ペン先が紙の上を滑る音が聞こえる。
その姿に見入ってしまった。彼女は、目の前の景色を、自分の手で捉え、形にしている。漠然とした不安に押しつぶされそうになっている私とは対照的に、彼女は、目の前の世界に集中している。
その日の午後、クライアントとの会議で、私はプレゼンテーションを担当した。新しいプロジェクトの提案だったが、相手の反応は鈍かった。資料に目を通すだけで、質問もほとんどない。まるで、私のプレゼンが、誰かの作った塗り絵のコピーに過ぎないかのように。
会議後、上司に呼ばれた。「悪くはないけど、オリジナリティが足りないな」と彼は言った。「もっと、自分の色を出さないと」。
自分の色、か。
その日の夜、行きつけのカフェで、私はノートを開いた。幼い頃から絵を描くのが好きだった。小学校の頃には、毎日のようにクレヨンを握りしめ、動物や風景を描いていた。でも、いつの間にか、絵を描くことから遠ざかってしまった。
カフェの壁には、地元のアーティストの作品が飾られていた。抽象的な絵が多く、理解するのは難しいけれど、それぞれの作品には、作者の個性が溢れている。色彩、筆致、構図…どれもが、作者の感情や思考を物語っている。
ふと、カフェの片隅に置かれた古い本棚に目が留まった。埃を被った本の背表紙を眺めていると、一冊の古ぼけた塗り絵が目に飛び込んできた。表紙には、色褪せたドラえもんらしきキャラクターが描かれている。しかし、どこかバランスが悪く、微妙に違う。タイトルは「楽しいお絵かき」と書かれているが、その絵柄とのギャップが、何とも言えないシュールさを醸し出している。
手に取ってみると、中身はさらに酷かった。キャラクターは統一されておらず、ドラえもんのようなものから、ウサギのようなものまで、ごちゃ混ぜになっている。しかも、輪郭線はガタガタで、塗り分けも雑だ。明らかに、プロの仕事ではない。
思わず笑ってしまった。これは、誰かが作った、失敗作の塗り絵だ。でも、その失敗作には、制作者の痕跡が残っている。下手なりに、一生懸命描こうとした痕跡。
その時、ふと、あることを思い出した。小学生の頃、私は、友達の家で、その友達のお兄さんが作った塗り絵を見せてもらったことがある。その塗り絵は、市販のものではなく、お兄さんが自分で描いたものだった。ドラえもんの絵は、どこか歪んでいて、輪郭線もガタガタだったけれど、私は、その塗り絵に夢中になった。なぜなら、その塗り絵には、お兄さんの愛情が込められていたからだ。
あの時、私は、完璧な塗り絵よりも、愛情のこもった不完全な塗り絵に、魅力を感じたのだ。
現代社会は、まるで、完璧な塗り絵を求められているかのように感じる。SNSを開けば、キラキラした生活を送る人々の写真が溢れ、自己啓発本を読めば、「成功」するためのノウハウが書かれている。まるで、誰かの作った完璧な塗り絵を、なぞるように生きることが、正しいかのように。
でも、本当にそうだろうか?
私たちは、誰かの作った完璧な塗り絵をなぞるために生きているのだろうか?
私は、自分の色を出すことを恐れていた。失敗することを恐れていた。でも、失敗することは、恥ずかしいことではない。失敗することは、成長するためのチャンスだ。
私は、自分の色で、自分の輪郭を描きたい。ガタガタでもいい。歪んでいてもいい。それが、私だけのオリジナルな塗り絵なのだから。
2026年1月6日。カフェを出ると、空には星が輝いていた。灰色に見えていた街並みも、少しだけ色鮮やかに見えた。私は、ノートを閉じ、新しい一歩を踏み出した。
数日後、私は、上司に、新しいプレゼンテーションを見せた。以前のプレゼンテーションとは違い、自分の言葉で、自分のアイデアを語った。資料も、自分でデザインした。完璧とは言えなかったけれど、私の個性は、確かにそこに表現されていた。
上司は、私のプレゼンテーションを聞き終えると、笑顔で言った。「いいじゃないか。これが、君の色だ」。
その言葉を聞いて、私は、心の中で小さくガッツポーズをした。
その日の帰り道、私は、画材店に立ち寄った。スケッチブックと、新しい絵の具を買った。家に帰ると、早速、スケッチブックを開き、ペンを握った。
何を描こうか、迷った。でも、すぐに、目の前に広がる景色を描き始めた。街灯の光、ビルのシルエット、行き交う人々の姿…どれもが、私だけのインスピレーションを与えてくれた。
絵を描いているうちに、時間を忘れてしまった。気が付くと、もう深夜になっていた。スケッチブックには、拙い絵が並んでいた。でも、その絵には、私の感情が、私の思考が、私の人生が、確かに刻まれていた。
私は、自分の作った塗り絵を眺めながら、微笑んだ。
完璧ではないけれど、これが、私だけのオリジナルな塗り絵だ。
そして、この塗り絵は、まだ始まったばかりだ。
これから、どんな色を塗り重ねていこうか。どんな輪郭を描いていこうか。
未来は、まだ曖昧だ。でも、だからこそ、面白い。
私は、自分の手で、未来を描いていきたい。
自分の色で、自分の輪郭を描いていきたい。
そう、思った。
2026年1月6日から、少し時間が経った。私は、今も、毎日、絵を描き続けている。
そして、私は、気づいた。
人生は、まるで、塗り絵のようだ。
誰かの作った輪郭をなぞるのではなく、自分の手で、輪郭を描き、色を塗り重ねていく。
失敗することも、間違いを犯すこともある。
でも、それもまた、人生の彩りだ。
だから、私は、恐れずに、自分の色で、自分の人生を描いていきたい。
曖昧な未来を、自分だけの鮮やかな色彩で、塗りつぶしていきたい。
それが、私が、塗り絵から学んだこと。
そして、それが、私が、これから生きていく道。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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