📝 この記事のポイント
- 新年の喧騒もようやく落ち着き、街はいつものペースを取り戻しつつあった。
- とはいえ、まだどこか正月ボケの残る空気が漂っている。
- 私は都心のカフェの窓際の席で、ぬるくなったカフェラテをすすっていた。
2026年1月5日。新年の喧騒もようやく落ち着き、街はいつものペースを取り戻しつつあった。とはいえ、まだどこか正月ボケの残る空気が漂っている。私は都心のカフェの窓際の席で、ぬるくなったカフェラテをすすっていた。目の前には、開きっぱなしのノートパソコン。やるべきことは山ほどあるのに、指先はキーボードの上で完全にフリーズしている。
(導入部:日常の一場面から始める)
理由は明白だった。疲れているのだ。心身ともに。年末年始の休暇はあったものの、結局、実家では親戚付き合いに奔走し、自分の時間はほとんどなかった。東京に戻ってきてからも、溜まりに溜まった仕事に追われ、気づけば年が明けてからまだ数日しか経っていないのに、すでに疲労困憊といった具合だ。
ふと、電車の中吊り広告が目に留まった。どこかの転職サイトの広告で、キャッチコピーは「働き方、見直しませんか?」だった。その言葉が、まるで私の心の奥底に直接語りかけてくるように感じられた。
正直、今の仕事には不満はない。クリエイティブな仕事だし、給料も悪くない。周りの同僚も優秀で、刺激的な毎日を送れている。しかし、それでも、私は「働き方」について、深く考えさせられていた。
きっかけは、数日前にネットニュースで目にした記事だった。一日8時間の労働時間を6時間に短縮したら、労働力不足が解消するかもしれない、という内容だった。記事には、6時間労働ならもっと働ける人が増えるとか、通勤や家事の負担が軽減されるとか、様々なメリットが書かれていた。
最初は半信半疑だった。そんな都合の良い話があるのか?と。しかし、読み進めていくうちに、妙に納得してしまったのだ。特に、「早く帰れるなら週5で働ける人って結構いる」「給与下がってもいいならいくらでも」というコメントには、共感を覚えた。
現代社会は、どこかおかしい。私たちは、長時間労働を美徳とするような価値観に縛られている。毎日、朝から晩まで働き詰めで、自分の時間や家族との時間を犠牲にしている。それが当たり前だと思わされている。
カフェには、私と同じようにパソコンを開いて仕事をしている人が何人もいた。みんな、真剣な表情で画面を見つめている。もしかしたら、彼らも私と同じように、「働き方」について悩んでいるのかもしれない。
(展開部:テーマを深める出来事や思考)
私は、大学時代からの親友であるアヤのことを思い出した。アヤは、大手広告代理店でバリバリ働くキャリアウーマンだった。仕事は大好きだったし、才能もあった。しかし、数年前に体調を崩し、会社を辞めてしまった。
久しぶりにアヤに連絡を取ってみると、彼女は故郷に戻り、小さなデザイン事務所で働いているという。給料は以前よりも大幅に減ったらしいが、毎日充実した日々を送っているそうだ。
「東京にいた頃は、毎日が戦いだった。常に誰かと競争しているような、そんな気がしていた。でも、今は違う。自分のペースで仕事ができるし、何よりも、自分の時間を持てるようになったのが嬉しい」
アヤの言葉を聞いて、私はハッとした。私たちは、一体何のために働いているのだろうか?お金のため?名誉のため?それとも、ただ単に、社会に認められたいだけなのだろうか?
私は、自分の胸に手を当てて、自問自答した。本当にやりたいことは何なのか?本当に大切にしたいものは何なのか?
その答えは、すぐには見つからなかった。しかし、少なくとも、今のままではいけない、ということは分かった。私は、もっと自分の時間を大切にしたい。もっと自分の心に正直に生きたい。
カフェを出て、私は近くの公園を散歩することにした。冬の太陽は、心なしか優しく感じられた。公園には、子供たちが楽しそうに遊んでいる姿があった。その光景を見ていると、心が温かくなった。
(転換部:新たな視点や気づき)
ベンチに腰掛け、私はスマートフォンを取り出した。そして、いくつかの転職サイトをチェックしてみた。以前は全く興味がなかった「ワークライフバランス」を重視した求人が、目に留まるようになった。
「週休3日制」「フレックスタイム制」「リモートワーク可」
そんな言葉が、まるで私を誘っているようだった。
もちろん、簡単に転職できるとは思っていない。今の仕事を手放すことには、抵抗もある。しかし、それでも、私は一歩踏み出してみようと思った。まずは、自分のスキルや経験を棚卸ししてみよう。そして、本当にやりたいことを見つけよう。
私は、大きく深呼吸をした。そして、空を見上げた。午後の空は、どこまでも青く澄み渡っていた。
その時、ふと、ある考えが頭をよぎった。
もしかしたら、6時間労働が実現すれば、もっと多くの人が、自分らしい生き方を見つけられるようになるのかもしれない。もっと多くの人が、自分の時間や家族との時間を大切にできるようになるのかもしれない。
それは、単なる労働時間の短縮ではない。それは、社会全体の価値観を変える、大きな転換点になるかもしれない。
しかし、そのためには、私たち一人ひとりが、意識を変えなければならない。長時間労働を美徳とするような価値観を捨て、自分の幸せを追求する勇気を持たなければならない。
私は、そう思った。
(結末部:余韻を残す締めくくり)
家に帰り、私は改めてノートパソコンを開いた。そして、カフェでフリーズしていた指先を、再びキーボードに乗せた。
しかし、今度は、仕事ではなく、自分の想いを綴ることにした。
「私は、午後の3時の空が好きだ。それは、一日の終わりが見え始める時間であり、同時に、明日への希望を抱く時間でもあるからだ。」
私は、そう書き始めた。
そして、いつか、この想いが、誰かの心に届くことを願った。
2026年1月5日。私は、新しい一歩を踏み出した。それは、まだ小さな一歩かもしれない。しかし、それでも、私にとっては、大きな意味を持つ一歩だった。
なぜなら、私は、自分のために、そして、未来のために、変わりたいと願ったからだ。
そして、それは、決して無駄なことではないと信じている。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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