📝 この記事のポイント
- 朝のラッシュアワーを避け、少し遅めの電車に揺られていた。
- 車窓から見えるのは、くすんだ灰色の空と、無表情なビル群。
- 未来都市と謳われた東京も、どこか疲弊しているように見えるのは、きっと僕自身の心がそう映し出しているからだろう。
2026年1月5日。
朝のラッシュアワーを避け、少し遅めの電車に揺られていた。車窓から見えるのは、くすんだ灰色の空と、無表情なビル群。未来都市と謳われた東京も、どこか疲弊しているように見えるのは、きっと僕自身の心がそう映し出しているからだろう。
手に持ったスマートフォンには、大量の通知。そのほとんどが、読んでもいないニュースアプリからのプッシュ通知か、怪しげな副業を勧誘するスパムメッセージだ。指先でスワイプして次々と消していく。情報過多の時代。必要な情報よりも、不要な情報に溢れかえっている。まるで、コンビニ弁当の添加物みたいだ。
最近、大学院の講義を一つキャンセルした。元々、興味のある分野ではあったけれど、研究室の先生との相性がどうも良くなかった。いや、正確に言えば、先生の言っていることが、まるで現代社会のノイズキャンセリング機能が働いていないかのように、耳を素通りしていくのだ。
「君たちは、もっと主体的に考えなければならない!」
先生はいつもそう言っていた。主体的に。それは、まるで魔法の言葉のように、あらゆる問題を解決できる万能薬のように聞こえた。でも、主体的に考えるって、一体どういうことなんだろう? 情報に溺れ、選択肢が多すぎる現代において、本当に「主体的に」何かを選ぶことなんてできるのだろうか? スパムメールの中から、本当に必要な情報を見つけ出すくらい難しい気がする。
昼過ぎ、近所のカフェで遅めのランチを取ることにした。いつものように、窓際の席を陣取り、カフェラテとサンドイッチを注文する。店内には、穏やかなジャズが流れていて、少しだけ心が安らぐ。周囲を見渡すと、パソコンに向かってカタカタとキーボードを叩く人、友達と楽しそうに話している人、黙々と本を読んでいる人。それぞれの時間を過ごしている。
その中で、ふと、ある講義のことを思い出した。学部時代に履修した「現代社会論」という講義だ。受講登録者はわずか三人。初回の授業で、教授は少し困ったような顔をしていた。
「まさか、本当に三人しかいないとは……」
その日は、教授と僕を含めた三人の学生で、自己紹介と講義の進め方について話し合った。教授は、予定していた講義内容を大幅に変更し、学生たちの興味のあるテーマを中心に、自由に議論する形式にすると言った。
数週間後、講義に出席したのは、僕と教授の二人だけになった。他の二人は、就職活動やアルバイトで忙しいようだった。教室には、教授と僕だけ。まるで、秘密基地のような、妙な連帯感が生まれた。
ある日の授業のことだ。教授は、突然、こう言った。
「今日は、講義をする気分じゃないな」
僕は、思わず聞き返した。
「え? じゃあ、どうするんですか?」
教授は、ニヤリと笑って答えた。
「素麺でも食べようか」
その言葉に、僕は一瞬、戸惑った。大学の講義室で、教授と二人で素麺を食べる? そんなの、ありえない。でも、なぜか、断る気にはなれなかった。
教授は、研究室から大きな鍋とカセットコンロ、そして大量の素麺を取り出してきた。手際よく素麺を茹で、近くのスーパーで買ってきためんつゆと薬味を並べた。
「ほら、遠慮なく食べなさい」
教授は、そう言って、僕に素麺を勧めた。
講義室には、素麺を啜る音だけが響いていた。
素麺を食べながら、教授と色々な話をした。先生の研究分野の話、現代社会の問題点、僕自身の将来の夢。講義とは全く関係のない、他愛もない話ばかりだった。
教授は、社会学者としての視点から、現代社会の様々な問題点を指摘した。格差、貧困、孤独、環境問題……。どれも、僕自身が漠然と感じていた問題ばかりだった。
でも、教授の話は、決して悲観的なものではなかった。むしろ、未来に対する希望に満ち溢れていた。教授は、現代社会の問題を解決するためには、一人ひとりが主体的に考え、行動することが重要だと強調した。
「君たちは、未来を担う世代だ。過去の価値観にとらわれず、新しい社会を創造してほしい」
教授の言葉は、僕の心に深く響いた。主体的に考えることの意味が、少しだけ分かったような気がした。
その日の講義は、素麺を啜りながら、四方山話をするだけで終わった。でも、僕にとって、それは、教科書を読むよりも、論文を書くよりも、ずっと価値のある時間だった。
カフェでサンドイッチを頬張りながら、僕は、あの日の講義のことを思い出していた。教授と二人で啜った素麺の味、教授の言葉、そして、講義室に漂っていた、不思議な連帯感。
現代社会は、複雑で、矛盾に満ち溢れている。情報過多で、選択肢が多すぎる。まるで、スパムメールの洪水の中にいるようだ。でも、そんな時代だからこそ、本当に大切なものを見つけるためには、主体的に考え、行動することが重要なのだと思う。
主体的に考えるとは、自分の頭で考え、自分の心で感じ、自分の意志で行動することだ。それは、誰かの言葉を鵜呑みにすることでも、流行に流されることでもない。
それは、自分自身の価値観を確立し、自分自身の人生を創造することだ。
カフェを出て、街を歩き始めた。空は、相変わらず灰色だったけれど、少しだけ明るくなったように感じた。
2026年。
僕たちは、まだ見ぬ未来に向かって、一歩ずつ歩んでいく。
時には、スパムメールに惑わされ、時には、素麺を啜りながら、未来について考える。
それでも、僕たちは、きっと、自分だけの幸福を見つけることができると信じている。
そして、その幸福は、きっと、誰かの幸福にも繋がっていると信じている。
※このエッセイは、Togetterのまとめから着想を得て創作されたフィクションです。
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