📝 この記事のポイント
- あけましておめでとう、なんて挨拶がSNSのタイムラインを流れていくのを、カフェラテ片手にぼんやり眺めていたんだ。
- 窓の外は、まだ初日の出の余韻みたいなオレンジ色の空が広がっていて、ああ、今年も実家からの逃避行を無事に果たしたなって、ちょっと安堵のため息をついたりしてね。
- 今年は特に、実家から逃げ出したかったんだ。
2026年1月1日。あけましておめでとう、なんて挨拶がSNSのタイムラインを流れていくのを、カフェラテ片手にぼんやり眺めていたんだ。窓の外は、まだ初日の出の余韻みたいなオレンジ色の空が広がっていて、ああ、今年も実家からの逃避行を無事に果たしたなって、ちょっと安堵のため息をついたりしてね。
今年は特に、実家から逃げ出したかったんだ。親戚が集まるときの、あの独特の空気、善意と悪意がごちゃ混ぜになったような空間が、どうにも苦手でさ。「結婚はまだ?」「子供は?」とか、聞かれる前から答えを用意しなきゃいけない、まるで就職面接みたいな時間が、正直なところ苦痛だったんだよね。
新宿の喧騒から少し離れた静かなカフェで、隣の席の若いカップルが楽しそうに旅行計画を立てているのをBGMに、ふとスマホが鳴った。大学時代の友人、ミナミからのメッセージ。「ねえ、あのニュース見た?インドのガンジス川で、日本人インフルエンサーがやらかした件。」
ミナミとは、大学のインド哲学の講義で知り合ったんだ。彼女は、周りがサルトルだカミュだと言ってる中で、バガヴァッド・ギーターやウパニシャッドに夢中になる、ちょっと変わった女の子だったな。卒業してからも、たまにこうして連絡をくれるんだよね。ニュースを開くと、そこには見覚えのある風景が広がっていた。数年前、卒業旅行でミナミと一緒に行った聖なるガンジス川。その川辺で、日本人インフルエンサーの同行者が放尿したって。現地の人たちが激怒して、SNSで大炎上してるらしい。
画面をスクロールすると、「マナー違反だ」「文化へのリスペクトがない」「日本人の恥だ」って、いろんな意見が飛び交っていた。どれもその通りなんだろうなって思うんだけど、なぜか、胸の奥に何か引っかかるものがあったんだ。あの時、私もミナミも、あのガンジス川のほとりで、言葉にできないような感情を抱いた。濁った水、焼かれる死体、けたたましい喧騒。それは、私たちの日常からはかけ離れたものだったけど、同時に、何か根源的なものに触れたような気がしたんだ。
その時、私は胸元に付けていた小さなウェアラブルカメラで、その混沌とした風景を記録していた。あのデバイスは、私が見たものを、かなり忠実に、まるで自分の目で再び見ているかのように記録してくれるんだ。だけど、鮮明な映像を見返しても、なぜかあの時の複雑な感情は、再現されなかった。それが、今回話したい、あのデバイスと、解像度の低い私たち自身の話なんだ。
最初の印象
初めて手にした時、正直言って「これで本当に旅の思い出が残せるのかな?」って思ったんだ。手のひらにすっぽり収まるくらい小さくて、見た目もシンプル。まるでアクセサリーみたいで、これならどんな服装でも邪魔にならないし、旅先でわざわざカメラを取り出す手間もない。ただ身につけるだけで、私が見ている景色を、そのまま記録してくれる。旅の荷物を最小限にしたい私にとって、これは理想的なデバイスだと思ったんだ。特に、インドみたいな非日常の場所では、カメラを構えること自体が、その場の体験から意識をそらしてしまうこともあるからね。だから、このデバイスは、私がその場に「いる」ことに集中しながら、その「体験」を丸ごと記録してくれるんじゃないかって、大きな期待を抱いたんだ。ガンジス川の畔で、普段なら絶対に目にしない光景を前にした時、私の目は、何を映し、何を映しきれないのか。それを記録して、後からじっくり振り返りたい。そんな思いで、インド行きのリュックにそっと忍ばせたんだ。
実際に使ってみて
インドでの旅は、まさに混沌の連続だった。ガンジス川のほとりで、私はあのデバイスを胸元に付けて、ただその場に立っていた。朝焼けの中で沐浴する人々、焼かれる死体、その隣で遊ぶ子供たち、物売りたちの叫び声、そして、どこからか聞こえてくる祈りの歌。五感を襲うあらゆる情報に、ただただ圧倒されるばかりだった。デバイスは、そんな私の視界を、まるで私がもう一度その場に立っているかのように、鮮明な映像として記録してくれたんだ。
カフェに戻って、あのインフルエンサーのニュースを見た後、私はガンジス川で撮った映像を見返してみた。その映像は、たしかに「解像度が高い」と言えるものだった。水面に揺らめく焚き火の炎、人々の表情のしわ、遠くの寺院の細かな彫刻まで、驚くほどクリアに捉えられている。まるで、あの時感じた空気までもが、映像の中に閉じ込められているかのような錯覚を覚えるほどだった。だけど、不思議なことに、当時の私が感じた「畏怖」とか「困惑」とか、あるいは「生と死の隣り合わせにある美しさ」といった、言葉にしがたい感情は、その鮮明な映像からは伝わってこなかったんだ。映像は、事実を映し出すけれど、その事実を前にした私の感情までは、映しきれない。改めて、そんなことを感じた瞬間だったな。
良かったところ
- 映像の没入感と臨場感: 撮り溜めた映像を見返すと、まるでタイムスリップしたかのように、その場に引き戻されるんだ。当時の光景が鮮明に蘇ってきて、旅の追体験が格段にリアルになった感じ。
- 操作の簡便さで体験に集中: 胸元に付けるだけで、電源を入れる、止めるくらいしか操作がいらないんだ。おかげで、わざわざカメラを構えることなく、自分の五感で直接、その場の体験に集中できたのが本当に良かった。
- 新たな視点や発見: 普段なら見逃してしまうような、細部の動きや表情まで記録してくれていたんだよね。後から映像を見返して、「こんなことあったんだ!」って驚くことが何度かあった。
気になったところ
- 感情の伝達限界: 映像は驚くほど鮮明だけど、当時の私が感じた「戸惑いや畏怖」といった複雑な感情までは、やはり再現できなかったな。他者に映像を見せても、その場の「複雑さ」は伝わりきらない感じがしたんだ。
- 情報過多の可能性: 高解像度で記録される情報があまりに多すぎて、かえって何が重要なのか、本質的なものを見失いそうになることもあったんだ。膨大な映像の中から、伝えたい核心を見つけるのが難しい時もあったな。
どんな人に向いてる?
このデバイスは、きっとこんな人に向いてると思うんだ。
- 旅行のvlogや記録をもっとリアルに、まるでその場にいるかのように伝えたい人。
- 自分の記憶を単なる写真や動画としてではなく、より鮮明な「体験」として残しておきたい人。
- そして、私みたいに、一見しただけでは分からない「情報」の奥にあるもの、例えば文化的な背景や、人の感情の揺れ動きなんかを探求したい人にも、良いきっかけを与えてくれるかもしれない。
使い続けて○週間の今
あのガンジス川でのインフルエンサーのニュースがSNSで炎上しているのを見て、私は改めて、あのデバイスで撮った自分のインド旅行の映像を見返してみたんだ。デバイスは、たしかに「真実」の一端を映し出している。あの川辺で何が起こっていたのか、どんな風景があったのか。それは、まるで目に見える情報として、はっきりとそこにあった。
だけど、その映像を見たところで、SNSで飛び交う「文化に対するリスペクトがない」という意見と、「あの場所の複雑さは写真や動画じゃ絶対に伝わらない」というミナミの言葉、その両方を納得させることはできなかった。映像は高解像度だけど、その裏にある人々の感情や文化の複雑さは、やっぱり私自身の「解像度の低い心」でしか捉えられない。デバイスは、あくまで私という人間の視覚を拡張するツールでしかなかったんだ。
カフェを出て近所の公園を歩きながら、私はミナミにメッセージを送った。「ねえ、今度、一緒にインドに行かない?もう一度、あの川を見てみたい。」すぐに返信が来たよ。「いいね!行こう!今度は、もっと深く、あの場所を感じてみよう。」
デバイスは、確かに世界を鮮明に映し出す。だけど、その「解像度」を本当に高めるのは、結局のところ、自分自身の心と、その目で見て、肌で感じた体験なんだなって、改めて思ったんだ。
まとめ
便利で高性能なデバイスが、私たちの世界を、どんどん「見える化」してくれるようになった。今回紹介したウェアラブルカメラも、旅の体験を驚くほど鮮明に記録し、追体験させてくれる素晴らしいツールだよ。
だけど、聖なる川辺で起こった小さな炎上騒動をきっかけに、私は改めて考えさせられたんだ。どんなに高解像度の映像や情報が手に入っても、それだけでは伝えきれない「何か」がある。人間の感情の複雑さ、文化の深さ、そして、他者を理解することの難しさ。これらは、デバイスでは捉えきれない、私たち自身の心の解像度に委ねられているんだよね。
これからも、私はこのデバイスと共に旅に出るだろう。鮮明な映像を残しながら、同時に、その映像の裏にある、目には見えない「解像度の低い」感情や文化の機微を、もっと深く感じ取れる自分になりたい。そして、その感動や疑問を、誰かと共有することで、少しずつでも、私たちの心の解像度を上げていきたいな。
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