📝 この記事のポイント
- 2026年の元旦、あの電車の中での出来事から始まったんだ。
- 初詣帰りの満員電車は、重箱の隅をつつくように押し込まれた人々の熱気で、まるで蒸し風呂のようだった。
- おみくじは小吉で、大した内容じゃなかったけど、窓にへばりつく水滴をなぞりながら、イヤホンから流れる「新宝島」に意識を集中させていたんだ。
2026年の元旦、あの電車の中での出来事から始まったんだ。初詣帰りの満員電車は、重箱の隅をつつくように押し込まれた人々の熱気で、まるで蒸し風呂のようだった。おみくじは小吉で、大した内容じゃなかったけど、窓にへばりつく水滴をなぞりながら、イヤホンから流れる「新宝島」に意識を集中させていたんだ。紅白歌合戦で見た、あのカオスティックな演出。怪獣が咆哮し、タローマンが乱入して踊り狂う、あの狂騒の宴。あれが、僕の人生における、ある種の「隙間」を埋める、あるいは開くきっかけになった。あの時、テレビの前でポカンと口を開けていた自分。美しさと狂気が、秩序と混沌が、完璧なバランスで混ざり合い、脳味噌を直接揺さぶられたような衝撃。あの体験を、僕はその後、ある「視点」として日常に「使ってみる」ことにしたんだ。そう、それが『怪獣とタローマンと、その隙間のこと』ってわけ。
最初の印象
あの紅白での「新宝島」は、まさに衝撃的だった。正直、最初は「一体、何を見せられているんだ…?」って困惑しかなかったよ。隣に立っていた母も「一郎さん、大丈夫かしら…」なんて呟いてたけど、大丈夫じゃないのはむしろこっちの脳みそだって。でも、その困惑の奥底には、妙な解放感があったんだ。怪獣の咆哮が社会の不条理や未来への不安、自分自身の無力感を代弁しているように聞こえ、タローマンのダンスが、それら全てを嘲笑い、同時に肯定しているように感じられた。それはまるで、今まで僕が知っていた世界の常識を破壊し、新しい視点を無理やりインストールされたような感覚だったね。このカオスが、もしかしたら今の僕らの現実を的確に表しているんじゃないか、そう漠然と感じたのが、最初の印象だ。
実際に使ってみて
あの衝撃から数週間、僕は日々の生活の中で、『怪獣とタローマン』という視点を意識して過ごしてみることにした。仕事に行き詰まりを感じたり、友人のミサキが転職先の残業に苦しんでいたりするのを見ると、まさに「怪獣」が暴れ回っている感覚が蘇るんだ。小さな広告代理店で、クライアントの顔色を窺い、SNSの炎上対策に追われる僕の日常も、まさに「怪獣」に追いかけられているようなものだ。ミサキが年末年始の緊急出勤を命じられ、涙を浮かべていた時も、彼女の心の中で巨大な怪獣が咆哮しているのが見えた気がした。でも、その直後、カフェのBGMが「新宝島」に変わり、タローマンの奇妙なダンスが脳裏によぎった時、僕はふと笑ってしまったんだ。この状況を『怪獣とタローマン』の構図で捉えると、不思議と深刻になりすぎず、どこか客観的に見られる自分に気づいたんだ。
良かったところ
この『怪獣とタローマン』という視点を日常に持ち込んで良かった点はいくつかあるんだ。
- まず、複雑な現実を素直に受け入れられるようになったこと。社会の不条理や人生の理不尽さって、一見するとただ混乱するだけだけど、「怪獣とタローマンが暴れ回ってるんだな」って考えると、「そういうものか」って達観できるようになるんだ。
- 次に、深刻な状況にもユーモアを見出せるようになったこと。ミサキが泣いている時、カフェで「新宝島」が流れてきた瞬間、僕らは思わず笑ったよね。あの時、人生の滑稽さに気づかされたんだ。どうにもならない状況でも、タローマンは「真面目に考えるなよ」って言ってくれている気がする。
- そして、孤独感が和らいだこと。僕だけじゃなく、みんなそれぞれの「怪獣」を抱えながら、タローマンのダンスに笑ったり戸惑ったりしてるんだ。友人も、道行く人々も、それぞれの怪獣とタローマンの物語を生きているんだなって思うと、なんだか連帯感を感じるんだ。
気になったところ
もちろん、この『怪獣とタローマン』という視点も、万能ってわけじゃない。
- 一番は、やっぱり初見の戸惑いだね。最初に紅白を見た時みたいに、「何これ?」ってなる。この感覚を理解するまでには、ある程度の混乱や試行錯誤が必要になるかもしれない。
- あとは、人によっては誤解されやすいってことかな。深刻な悩みや問題に直面している時に、「怪獣とタローマンだね」なんて言っても、相手は「は?」ってなるだけかもしれない。これはあくまで自分自身の心の中で現実を受け止めるためのフレームワークであって、万人に理解を求められるものではないんだ。
どんな人に向いてる?
じゃあ、この『怪獣とタローマン』視点は、どんな人に向いているんだろう?僕が思うに、
- 漠然とした社会の不条理や、日々の生活の理不尽さに疑問を感じている人。
- 現状に閉塞感を覚え、何か新しい捉え方や視点を探している人。
- そして何より、深刻な中でもユーモアを忘れずに、人生を楽しもうとする気持ちがある人。
そういう人には、きっと響くものがあると思う。人生は真面目に考えすぎても疲れるだけだし、かといって全てを諦めるわけにはいかない。その間の「隙間」で、この視点は大きな助けになるはずだ。
使い続けて数週間の今
あの元旦から数週間が経った今、僕はこの『怪獣とタローマン』という視点を、すっかり自分の一部として使いこなせるようになった気がする。以前ならイライラしたり、落ち込んだりしていたような状況でも、「ああ、また怪獣が暴れてるな」とか、「タローマンが踊り出したか」って、どこか冷静に眺められる自分がいる。もちろん、問題が解決するわけじゃないけど、問題に囚われすぎて身動きが取れなくなることは少なくなった。友人たちとの会話の中でも、この話をするとなんとなく通じ合う瞬間があったりして、意外と共通言語になりつつあるのが面白い。この視点を持つことで、現実の混沌を恐れるのではなく、むしろその中に含まれるエネルギーや、思わず笑ってしまう滑稽さを見つけられるようになったんだ。
怪獣とタローマン、そしてその隙間のこと。それは、僕が日々の現実と向き合うための、ちょっと変わった、でもパワフルなツールになった。社会の不条理や個人の無力感といった「怪獣」に怯えながらも、人生の滑稽さや意味不明なエネルギーを象徴する「タローマン」のダンスに笑い、前に進む。この二つが混在するカオスこそが、僕たちの現実であり、人生そのものなんだ。もし君も、どうにもならない現実に直面して、途方に暮れているなら、一度『怪獣とタローマン』というフィルターを通して、世界を見てみないか? きっと、今までとは違った景色が見えてくるはずだよ。
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