📝 この記事のポイント
- 2025年12月21日、史上最多1万1521組の頂点に立ち、21代目M-1王者の称号を獲得したたくろう。
- 初のファイナリストでの優勝という快挙を成し遂げた彼らの漫才には、従来の賞レース漫才とは一線を画す革新性が詰まっている。
- 本稿では、たくろうのネタを徹底的に分解し、なぜ彼らが審査員9人中8人の支持を集めたのか、その笑いの設計図を言語化していく。
2025年12月21日、史上最多1万1521組の頂点に立ち、21代目M-1王者の称号を獲得したたくろう。初のファイナリストでの優勝という快挙を成し遂げた彼らの漫才には、従来の賞レース漫才とは一線を画す革新性が詰まっている。本稿では、たくろうのネタを徹底的に分解し、なぜ彼らが審査員9人中8人の支持を集めたのか、その笑いの設計図を言語化していく。
苦節10年、地道に積み上げた「違和感」の美学
2016年3月に結成されたたくろうは、NSC大阪校36期生のきむらバンドと37期生の赤木裕によるコンビだ。結成からわずか2年で準決勝まで進出するも、その後7年間は準決勝にすら進めない長い低迷期を経験している。
この苦悩の時期について、きむらバンドは「僕らの一番の正義は、目の前のお客さんに笑っていただくことだと腹をくくれたのは、大事なことだった」と振り返る。「かっこいいボケとかエッジの効いたネタもやりたかったが、それは自分たちにはできない、だったらとにかくウケるものを」という開き直りが、彼らの転機となった。
大阪の漫才劇場(通称マンゲキ)を主戦場とし、「老若男女、いろんな世代の方にフラットに観ていただける劇場でネタを磨く」ことで、技術よりも本質的な「面白さ」を追求してきた結果が、今回の優勝につながっている。
1本目「リングアナ」:三文字英語大喜利という発明
ファーストラウンドで披露された「リングアナ」のネタは、格闘技のリングアナの練習に巻き込まれたボケ担当の赤木裕が、アルファベット三文字の単語を大喜利のように連発するという構成だった。
このネタの秀逸さは、形式の独創性にある。リングアナウンサーの煽り文句という設定が、「三文字英語略語+日本語説明」という構造を自然に成立させている。
実際に披露されたボケを見てみよう。
・PCR 5年連続陽性
・BBQ ウインナー係
・ETC 減速せず突っ込みます
・KSD 京都産業大学
このネタの笑いのメカニズムは、三つの層で成立している。
第一層:形式美とリズムの快感
三文字英語+説明という定型リズムが生み出す音楽的快感がベースにある。リングアナの独特な抑揚を模した語り口は、観客を一定のテンポに乗せ、次の展開への期待を高める。定型があるからこそ、そこから外れたときの笑いが活きてくる。
第二層:スケール感の落差
「PCR(国際的な医療用語)→5年連続陽性(個人的な不幸)」「ETC(高速道路システム)→減速せず突っ込みます(自滅行為)」というように、社会システムや制度という大きな概念から、個人の小さな、しかもネガティブな現実へ着地する。このスケールダウンが生む落差が笑いを生む。
第三層:言葉選びの絶妙さ
特に「KSD 京都産業大学」は傑作だ。京都産業大学の正式略称は実はKSUであり、KSDは誤り。しかし、関西では「きょーさんだい」という発音から「KSD」の方がむしろ馴染み深い。
つまりこれは、正式と非正式、公式と通俗の狭間を突いたボケなのだ。「間違っているけど、なんか分かる」という微妙な違和感が笑いを生む。京都産業大学の公式Xは「KSUよりKSDのほうが一般的になってしまったのではないでしょうか」とコメントしており、この絶妙なズレが広く認識されていたことを物語っている。
「ウインナー係」という選択も秀逸だ。BBQという華やかな響きから、誰もが焼くメインディッシュではなく、「ウインナー」という脇役、しかも「係」という役職の矮小さ。言葉一つ一つが計算され尽くしている。
観客を巻き込む構造
このネタのもう一つの巧みさは、観客が「次は何が来るか」と予想する余地を残している点だ。三文字英語という制約があるからこそ、観客は自分なりの答えを想像する。そして赤木が繰り出す答えは、常に予想の斜め下を行く。この裏切りと期待のサイクルが、ネタ全体のエンジンとなっている。
2本目「ビバリーヒルズ」:抽象と具体の衝突実験
最終決戦で披露された「ビバリーヒルズ」のネタは11月にできたばかりの新作だった。このネタは、たくろうの漫才の本質を最も鮮明に示している。
設定の妙:日本語吹き替えという枠組み
きむらバンドがビバリーヒルズに住んでみたいというきっかけから、なぜか英語ではなく吹き替えのような台詞回しで、赤木裕を巻き込んでいくという設定。外国ドラマの日本語吹き替えのような言い回しがおかしみを呼んだのだが、ここには深い戦略がある。
「ビバリーヒルズの練習をする」という抽象的で荒唐無稽な設定を、「吹き替えっぽく話す」という具体的な行動に落とし込むことで、観客はこの異世界に入り込みやすくなる。さらに、吹き替え特有の大げさで演劇的な語り口は、きむらバンドの普段のキャラクターとのギャップを生み、それ自体が笑いを誘う。
対比の構造:セレブvs庶民の格差笑い
このネタの核心は、圧倒的な対比構造にある。
きむらバンド:「GoogleでAIを開発しているジェームズ」
赤木:「Yahoo!で天気予報を見ているジョージ」
スケールが大きいキラキラした世界と対照的な規模が小さいしょうもない返しという構図は、1本目の「PCR→5年連続陽性」と同じメカニズムだが、より洗練されている。
Googleとの対比でYahoo!を持ってくる選択が絶妙だ。Googleが世界最先端のIT企業の象徴であるのに対し、Yahoo!は日本では「天気予報を見るサイト」という生活密着型サービスのイメージが強い。同じインターネット企業でありながら、この格差。
「AIを開発」vs「天気予報を見る」という行為のスケール差も見事だ。AIは未来を創造する行為、天気予報は日常を確認するだけの受動的行為。この落差が笑いを生む。
固有名詞の暴力性
このネタで特筆すべきは、固有名詞の使い方だ。「ビバリーヒルズ」「Google」「Yahoo!」「やよい軒」「大阪での納税」など、具体的な固有名詞が次々と登場する。
固有名詞は、抽象的な概念を一瞬で現実に引き戻す力を持つ。「AI開発をしている友人」ではなく「GoogleでAI開発をしているジェームズ」、「定食屋」ではなく「やよい軒」と言うことで、イメージが一気に具体化し、観客の脳内に鮮明な映像が浮かぶ。この具体性と、ビバリーヒルズという異世界の抽象性が衝突することで、強烈な違和感が生まれる。
「抽象vs具体のコンフリクト」こそ、たくろうの爆発力の源泉なのだ。固有名詞を入れただけで笑いが加速するのは、人は「場違いな情報」に笑う生き物だからである。
会話の混線:世界が溶け合う瞬間
ネタが進むにつれ、ビバリーヒルズの世界と日本の日常が混ざり合い始める。この混線状態こそが、たくろうが作りたかった「違和感のピーク」だ。
観客は次第に「今どの世界にいるのか」を見失い始める。この認知的な混乱が、笑いを加速させる。論理的整合性を失った世界で、赤木は必死に「それっぽいこと」を言おうとし、その努力が空回りする様が滑稽なのだ。
赤木裕というキャラクターの必然性
このネタが成立する最大の要因は、赤木裕という人間の存在だ。赤木の挙動不審な言動にきむらが優しくツッコむスタイルが、たくろうの基本形だが、「ビバリーヒルズ」ではこの関係性が最高度に活かされている。
赤木のボケは、「普段の生活で会話中に別のことを考えている時の発想をそのままネタに活用している」という。つまり、彼のボケは「作られた」ものではなく、彼の思考回路そのものなのだ。
ビバリーヒルズというゴージャスな設定に対し、赤木は常に地に足のついた、むしろ地を這うような庶民的発想で返していく。この人格と設定のミスマッチが、ネタ全体の核となっている。
もし赤木が「ビバリーヒルズっぽいこと」を完璧に言えてしまったら、ネタは成立しない。彼が必死に考えて、でも結局ズレたことを言う、その過程が笑いになる。彼のおどおどした佇まい、自信なさげな語り口が、「分かっていないのにそれっぽいことを言おうとする」というこのネタの本質を体現している。
「違和感漫才」という新ジャンル
たくろうの漫才を一言で表すなら、「無茶振り大喜利漫才」あるいは「違和感漫才」と呼ぶべきだろう。
従来の漫才は、ボケとツッコミの掛け合いによって物語が進行する。しかしたくろうの場合、きむらバンドの「フリ」は、物語の展開というよりも「大喜利のお題」に近い。赤木はそのお題に対し、正解ではない、でもそれっぽい何かを答え続ける。
この構造は、漫才というよりも即興コメディに近い。ただし、実際には綿密に構成されており、「即興っぽさ」を演出しているという二重構造になっている。
なぜ審査員は高評価したのか
最終決戦では、ファーストラウンドで上位3組に入ったエバース、たくろう、ドンデコルテが争い、たくろうが9人中8人の票を獲得した。この圧勝の理由を分析すると、以下の要素が浮かび上がる。
1. 独自性
エバースは完璧なしゃべくり漫才、ドンデコルテはコント要素の強い漫才と、どちらも既存のカテゴリーに分類できる。対してたくろうは、どのカテゴリーにも属さない。この唯一無二性が、審査員の心を捉えた。
2. 観客との一体感
たくろうは最終決戦で861点という高得点を獲得し、会場を完全に味方につけていた。審査員も観客の熱量を無視できない。一度スイッチが入ると、赤木が何を言っても笑いが起きる状態になっていた。
3. 2本のネタの対比
1本目の「リングアナ」で定型リズムと大喜利的構造を見せ、2本目の「ビバリーヒルズ」で会話劇的な展開を見せたことで、たくろうの懐の深さを証明した。この振り幅が、審査員に「この漫才師は別格だ」と思わせた。
アンタッチャブル・柴田英嗣は「2本目は100点をつけていいくらい面白かった」と絶賛している。
言葉のチョイスに見る天才性
たくろうの漫才を語る上で欠かせないのが、言葉選びの精度だ。素人には気づかない、しかし確実に笑いを生んでいる選択が随所に見られる。
「5年連続陽性」の残酷さ
「PCR陽性」だけでも十分ボケになるが、「5年連続」という時間軸を加えることで、笑いの質が変わる。5年連続でPCR陽性というのは、医学的にほぼあり得ない。しかし「連続」という言葉が、まるで不名誉な記録を更新し続けているような滑稽さを生む。
「ウインナー係」の矮小化技術
BBQの担当として考えられる選択肢は無数にある。肉、野菜、火起こし、飲み物など。その中で「ウインナー」を選ぶセンスが光る。ウインナーは誰でも焼ける、失敗のしようがない、つまり「仕事を任されていない感」が強い。さらに「係」という小学校の役割分担のような言葉を使うことで、大人がBBQをしているという前提との齟齬が生まれる。
「Yahoo!で天気予報」の庶民性
なぜYahoo!なのか。Googleではダメなのか。Googleだと「同じインターネット企業同士」という対比になってしまい、スケール差が生まれない。Yahoo!は日本では「昔からあるポータルサイト」というイメージが強く、最先端のGoogleとの対比で「古い」「庶民的」という印象を与える。
さらに「天気予報を見る」という行為の選択も絶妙だ。「検索する」でも「ニュースを見る」でもなく、「天気予報」。これは最も受動的で、知的活動とは言えない情報収集だ。明日の傘を持っていくか悩む普通の人の営みが、AI開発という人類の未来を左右する仕事と対比される。この落差が笑いを生む。
「やよい軒」という固有名詞の威力
ビバリーヒルズのパーティで出される料理といえば、シャンパン、キャビア、オードブルなど、高級食材が並ぶ。そこに「やよい軒」という固有名詞を放り込む暴力性。
なぜ「定食屋」ではなく「やよい軒」なのか。やよい軒は庶民的な定食チェーンの代表格であり、「おかわり自由」というシステムが有名だ。この具体性が、ビバリーヒルズという抽象的な豪華さを一瞬で地上に叩き落とす。
素人では気づかない技術の数々
間の取り方
赤木は決して饒舌ではない。むしろ、言葉を探すような、おどおどした話し方が特徴だ。この「間」が重要で、観客は赤木が何を言うのか待つ時間が生まれる。期待が高まったところで予想外の言葉が出てくるから、笑いが大きくなる。
逆にきむらバンドは、流れるように話す。この対比が、ネタ全体のリズムを作っている。きむらが加速させ、赤木がブレーキをかける。この緩急が心地よい。
視線の動き
赤木の視線は定まらない。きむらを見たり、客席を見たり、宙を見たり。これは計算されたものか素なのか判別しにくいが、結果として「自信のない人」「何を言えばいいか分かっていない人」というキャラクターを強化している。
対してきむらは、しっかりと赤木を見つめ、時に客席にも視線を配る。この視線の安定感が、赤木の不安定さを引き立てる。
声のトーンと抑揚
赤木の声は高くも低くもない、平坦なトーンだ。しかし時折、自信なさげに語尾が上がる。この不安定さが、「分かっていないのに答えようとしている」感を醸し出す。
きむらの声は明瞭で、演劇的な抑揚がある。特に「ビバリーヒルズ」では、吹き替え特有の大げさな語り口を再現しており、それ自体がギャグになっている。
衣装の地味さという戦略
たくろうの衣装は極めて地味だ。赤木は太い眉毛とシャツの裾をズボンの中に入れたファッションが特徴で、きむらは眼鏡とパーマという平凡なスタイル。
派手な衣装で注目を集める芸人が多い中、この地味さは戦略的だ。ビジュアルで笑いを取ろうとしないことで、言葉と間だけで勝負していることを示している。また、地味な見た目が赤木の「冴えない庶民」というキャラクターを強化している。
M-1という場での意味
令和ロマンの2年連続優勝の後、たくろうは初のファイナリストで優勝という快挙を成し遂げた。これは、M-1という賞レースにとっても大きな意味を持つ。
近年のM-1は、「しゃべくり漫才」の技術的完成度が重視される傾向にあった。令和ロマンの連覇も、その文脈で理解できる。しかしたくろうの優勝は、「型破り」が評価されたという点で、新しい潮流を生み出した。
「爆発力」「テンポ」「情報量」といった従来の評価軸ではなく、「違和感」「ズレ」「個性」という新しい軸での評価。これは、お笑いが成熟し、多様性を認める段階に入ったことを示している。
たくろうが示した「個性の勝利」
たくろうの優勝は、「誰もが同じ方向を目指す必要はない」というメッセージでもある。「かっこいいボケやエッジの効いたネタは自分たちにはできない」と認め、「とにかくウケるもの」を追求した結果が、誰も真似できない唯一無二の漫才を生み出した。
赤木裕という人間の個性を、欠点としてではなく武器として活かし切った。おどおどした佇まい、自信なさげな語り口、予測不能なボケ。これらすべてが、彼でなければ成立しない笑いを作り出している。
結論:「違和感」という新たな笑いの地平
たくろうの漫才は、従来の漫才の文法を解体し、再構築した革命的な試みだ。ボケとツッコミという固定的な役割ではなく、「お題を出す人」と「ズレた答えを出す人」という新しい関係性。物語の展開ではなく、違和感の積み重ね。完璧な技術ではなく、人間の不完全さを活かす戦略。
彼らの漫才を観た後、私たちは気づく。笑いとは、論理的整合性の破綻した瞬間に生まれるのだと。世界が混線し、言葉が本来の意味から外れ、スケールが激しく上下する。その混乱の中で、私たちは「これは何なんだ」と戸惑いながらも、笑ってしまう。
たくろうの優勝は、技巧や情報量ではなく、ズレを恐れない感覚の強さが武器になることを証明した。
M-1グランプリ2025は、「違和感」という新たな笑いの地平を切り開いた大会として、お笑い史に刻まれるだろう。そしてその中心にいるのが、10年間地道にネタを磨き続けてきたたくろうだ。
彼らの漫才は、私たちに問いかけている。「あなたは、自分だけの笑いを見つけましたか?」と。
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