📝 この記事のポイント
- 2025年12月22日、都内の電車に揺られながら、私はスマホを握りしめていた。
- SNSのタイムラインは、昨夜のM-1グランプリの熱狂で埋め尽くされている。
- 「真空ジェシカ、今年も決勝に残ったか」なんて、どこか他人事みたいに眺めていたっけ。
2025年12月22日、都内の電車に揺られながら、私はスマホを握りしめていた。SNSのタイムラインは、昨夜のM-1グランプリの熱狂で埋め尽くされている。「真空ジェシカ、今年も決勝に残ったか」なんて、どこか他人事みたいに眺めていたっけ。彼らのネタは、確かにシュールで独特の面白さがある。でも、それよりも私の目を引いたのは、川北さんの「今日の質の高いお客さんで本当によかった」というコメントだった。質の高いお客さんって、一体どんな人たちのことを言うんだろう? そして、私はその「質の高いお客さん」に含まれる存在なんだろうか。そんな疑問が、私のSNSとの向き合い方を大きく変えるきっかけになったんだ。
最初の印象
M-1が終わった翌朝、SNSを開くとそこはもうお祭り騒ぎだった。誰もが自分のM-1論を展開し、「あのネタが最高だった」「あのツッコミは天才」と、熱いコメントが飛び交う。もちろん、私も真空ジェシカのネタは面白かったと感じたけど、みんなの熱量に少し圧倒されたんだ。多くの人が、ただ感想を述べるだけでなく、まるで自分の見識の深さを競い合うかのように、独自の解釈や裏話を披露している。そこには、M-1という共通の話題を通して「自分は分かってる人間だ」と主張したい、承認欲求の渦を感じた。私も、なんとなく「気の利いたコメントをしなきゃ」って、無意識のうちに力が入っていた気がする。
実際に使ってみて
その日から、私はM-1というコンテンツをSNSで積極的に消費してみることにした。自分の感想を投稿し、他の人の意見を読み漁り、時にはリプライを送ったりもした。最初は、自分の言葉が誰かに「いいね」されたり、共感されたりするたびに、少しだけ高揚する感覚があった。同僚のユウキくんが「あのメタ発言、マジでヤバいっすよね!完全にオタク層狙ってますよ!」って興奮気味に話してたけど、私もどこかで「みんなが共感するような、深い考察をしなきゃ」って、ユウキくんと同じように「バズる」ことを意識していたのかもしれない。でも、そうやって無理に「質の高い」コメントをしようとすればするほど、なんだか自分の素直な感動が薄れていくような気がしたんだ。
良かったところ
SNSでM-1の感想を共有する中で、もちろん良いこともたくさんあったよ。
- 新しい発見: 普段なら見過ごしてしまうようなネタの伏線や、芸人さんの意図に気づかされたこと。一人で観ているだけでは得られない、多角的な視点に触れられたのは面白かった。
- 共感の喜び: 自分の「面白い」という感覚が、他の誰かとぴったり一致した時の喜び。それは、まるで秘密のクラブに入れたような、特別な感覚だった。
- リアルタイムの盛り上がり: みんなで同じ瞬間に熱狂し、感想を分かち合う一体感は、SNSならではの醍醐味だったね。
気になったところ
一方で、少ししんどいな、と感じることも正直あったんだ。
- 承認欲求との戦い: 自分の投稿に「いいね」がつかないと、どこか物足りなく感じたり、「もっと気の利いたこと書けばよかった」と後悔したり。純粋な感動よりも、他者からの評価を気にする自分に気づいた時、少し疲れた。
- 情報過多と消耗: M-1に関するあまりに多くの情報や考察が飛び交う中で、「自分は本当にこのネタの本質を理解しているのか?」と不安になったり、世間の「面白い」に追いつかなければという強迫観念に囚われたりして、精神的に消耗することもあった。
どんな人に向いてる?
SNSでのM-1体験を通じて、私は「質の高いお客さん」の解釈を変えたんだ。大学時代の友人サキが「M-1、観たけどちょっと難しかったかな。都会のネタって感じ」って言ってた時、ハッとした。SNSで盛り上がる「質の高い議論」は、特定の人たちにしか届かない「都会のネタ」になってしまうのかもしれない。
だから、SNSって、自分の意見をしっかり持っていて、他人の評価に一喜一憂しすぎない人に向いているんじゃないかな。他人の意見はあくまで参考程度に、自分が「面白い」と感じるものを素直に面白いと思えること。それが一番大切だって、今は思う。誰かに「すごいね」って言われるためじゃなくて、自分が楽しむために使う。そんな距離感でSNSと向き合える人が、一番「質の高いユーザー」なのかもしれない。
使い続けて数週間の今
M-1の熱狂が過ぎ去って数週間。私はSNSとの向き合い方が少し変わった。以前のように、無理して気の利いたコメントを考えたり、他人の意見に流されたりすることはなくなったよ。自分が「面白い」と感じたものには素直に「面白い」と反応するし、そうでないものは無理に深掘りしようとしない。
M-1の話題が飛び交っていた時、「自分が『質の高いお客さん』であるかどうかは、どうでもいいこと」だって気づいたんだ。大切なのは、自分が心から面白いと感じること。そして、もしその感動を誰かと共有できたら、それはもう最高に嬉しいこと。そう思えるようになったら、SNSを見るのがずっと楽になったよ。
まとめ
奇しくも地球に小惑星が衝突する可能性が指摘されていた2025年12月22日。テレビでは専門家が真剣な顔で議論していたけど、私はそんな報道を横目に、晩ご飯の準備をしていた。冷蔵庫の余り物で、温かい雑炊を作ろうと思ったんだ。終末が来るとか来ないとか、SNSで誰かの評価を気にするとかしないとか、そんなことはどうでもいい。今、私がやるべきことは、目の前にある美味しい雑炊を作ること。
M-1と承認欲求の渦中で、私は大切なことを学んだんだと思う。外の世界の喧騒も、承認欲求も、すべては泡のようなもの。結局、本当に大切なのは、自分が心から「これでいい」と思える、ささやかな日常の充実なんだ。グツグツと煮込まれる雑炊の音を聞きながら、私は、この温かい瞬間が、何よりも「質の高い時間」だと感じていた。
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