📝 この記事のポイント
- セブンイレブンの自動ドアが開く音は、まるで天国の門が開く音に似ていると。
- 今日も私は、決まった時間に会社からほど近いセブンイレブンへと吸い込まれるように入っていく。
- このルーティンはもうずいぶん長く続いているけれど、飽きるどころか、むしろ日々新しい発見がある。
私は本気で思っている。セブンイレブンの自動ドアが開く音は、まるで天国の門が開く音に似ていると。今日も私は、決まった時間に会社からほど近いセブンイレブンへと吸い込まれるように入っていく。このルーティンはもうずいぶん長く続いているけれど、飽きるどころか、むしろ日々新しい発見がある。コンビニのおにぎりは、ただのお昼ご飯じゃない。私にとっては、一日を形作り、ちょっとしたドラマを生み出す、かけがえのない存在なのだ。朝、昼、そして時には夜と、生活のあらゆる場面に寄り添ってくれる「おにぎりという正常」が、私の毎日を彩ってくれる理由を、今日は少しだけ話そうと思う。
最初の印象
初めてコンビニのおにぎりを「私の日常の要」と意識したのは、もう二年ほど前のことだ。最初はただ手軽だからという理由で選んでいたけれど、おにぎりコーナーにずらりと並んだ姿を見た時、何とも言えない美しさを感じた。白い包装紙に包まれた三角形が、蛍光灯の下で神々しく光って見えたのを今でも覚えている。その完璧なまでに整然とした配置は、忙しい日常の中に、確かな秩序と安らぎをもたらしてくれるようだった。あの時、私は直感したのだ。これは単なる食べ物ではなく、私の生活に彩りとリズムを与えてくれる「何か」なのだと。
実際に使ってみて
毎日のおにぎり選びは、私にとって一つの重要な儀式だ。売り切れはないか、新商品は出ているかと、端から端までじっくり眺める。そして、今日の気分を自分に問いかけるのだ。塩鮭か、ツナマヨか、それとも明太子か。この決断は、午後の私の運命を左右すると言っても過言ではない。
以前、ツナマヨを選んだ日のこと。まさに手を伸ばそうとしたその瞬間、隣にいた男性も同じツナマヨに手を伸ばした。一瞬手が交差し、「あ、すみません」「いえ、どうぞ」といった、日本人にありがちな不毛なやり取りが繰り広げられた。結局私が先に手にしたのだが、男性が仕方なさそうに梅干しを選んだのを見て、なんだか申し訳ない気持ちになった。
またある時は、レジで「温めますか?」と聞かれ、思わず「はい」と答えてしまった。ツナマヨを温めるなんて、温かいマヨネーズほど気持ち悪いものはないと後悔したが、もう遅い。店員さんは私のツナマヨをレンジに入れてしまった。二十秒という短い時間が、なぜかひどく長く感じられたのを覚えている。この温められたツナマヨの経験は、私にとっての「おにぎりとの付き合い方」を深く考えさせるきっかけとなった。
良かったところ
- 日々の選択がもたらす小さな喜び: おにぎりを選ぶ行為は、今日の自分と向き合う大切な時間になっている。どの味を選ぶかによって、午後の仕事へのモチベーションや過ごし方が変わるという「私の統計」は、決して大げさなことではない。
- いつでもどこでも得られる安心感: どんなに忙しくても、お腹が空いたらすぐに駆け込める手軽さ。そして、いつ行っても期待を裏切らないクオリティは、日々の生活を支える確かな安心感を与えてくれる。
- 日常に潜むささやかな発見: レジでの新人店員さんの間違いや、他の客とのちょっとした触れ合い。コンビニおにぎりを買うという行為を通して、日常の小さな変化や人々の営みに気づかされる瞬間が度々ある。
気になったところ
- 意図せぬハプニングによる後悔: ツナマヨの温め事件のように、自分の思考が追いつかず、後で後悔する選択をしてしまうことがある。完璧なルーティンを築いたつもりでも、予測不能な出来事は起こるものだ。
- 周囲からの「正常」とのズレ: 同僚の田中さんから「栄養偏るよ」「たまには手作り弁当とか」と言われるたび、「おにぎりは完全栄養食です!」と真顔で反論する自分がいる。私の「正常」は、必ずしも万人の「正常」ではないのだと、少し寂しくなる瞬間もある。
どんな人に向いてる?
コンビニおにぎりは、忙しい日常の中に、自分だけの小さな楽しみやルーティンを見つけたい人にぴったりだと思う。また、日々の選択を通して、自分自身の感情や行動パターンを静かに観察したい人にもおすすめしたい。ちょっとしたハプニングも笑いに変えられる心の余裕がある人なら、きっとコンビニおにぎりの奥深さに気づくことができるだろう。そして何より、「おにぎりという正常」を信じ、日々をたくましく生きる全ての同志たちに、この体験を共有したい。
使い続けている今
私は今日もセブンイレブンに通う。一日三回。朝、昼、そして夕飯用のおにぎりを買いに。世間から見れば「異常」なのかもしれない。でも、私にとってはこれこそが「正常」な生活なのだ。先日、昼休みにサンドイッチを買いに行った際、レジにいたのはあの「研修中・ヤマダ」さんだった。以前はあたふたしていた彼女が、今回はベテラン店員さんの助けなしで完璧に会計を済ませていた。そんな小さな成長を目の当たりにするのも、コンビニおにぎり生活の醍醐味の一つだ。夕方のおにぎりコーナーは人気商品が売り切れて少し寂しいけれど、残り物には福があるというように、意外な出会いがそこにはある。高菜おにぎりを手に取りながら、今日も私は自分にとっての「正常」を噛みしめる。
まとめ
コンビニおにぎりは、私の日常にとって単なる食べ物ではない。それは、日々の選択、ささやかなハプニング、そして人との触れ合いを通じて、私自身の「正常」を形作る哲学のようなものだ。これからも私は、この「おにぎりという正常」を大切にしながら、コンビニの自動ドアが開くたびに、新しい一日への期待を胸に抱いていくのだろう。
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おにぎりという正常
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