📝 この記事のポイント
- 静寂が語る物語:対照的な二つの旅路 ヴィンス・ギリガンの最新作『Pluribus』第7話「The Gap」は、これまでのエピソードとは一線を画す静謐な作品だ。
- 台詞をほぼ排除し、映像と音楽だけで物語を紡ぐこの45分間は、キャロル・スタルカ(リア・シーホーン)とマヌソス・オビエド(カルロス=マヌエル・ベスガ)という二人の免疫保持者が、それぞれ全く異なる形で孤独と向き合う姿を描いている。
- 第6話でラスベガスから帰還したキャロルは、「ジョイニング(結合)」された人々、通称「アザーズ」から距離を置くことを選択する。
静寂が語る物語:対照的な二つの旅路
ヴィンス・ギリガンの最新作『Pluribus』第7話「The Gap」は、これまでのエピソードとは一線を画す静謐な作品だ。台詞をほぼ排除し、映像と音楽だけで物語を紡ぐこの45分間は、キャロル・スタルカ(リア・シーホーン)とマヌソス・オビエド(カルロス=マヌエル・ベスガ)という二人の免疫保持者が、それぞれ全く異なる形で孤独と向き合う姿を描いている。
第6話でラスベガスから帰還したキャロルは、「ジョイニング(結合)」された人々、通称「アザーズ」から距離を置くことを選択する。一方、パラグアイのマヌソスは、地球上で唯一の同志であるキャロルに会うため、ニューメキシコ州アルバカーキへの危険な旅に出発する。この二つの物語が平行して展開される構成は、ギリガン作品特有の緻密な演出力を示している。
キャロルの心理的崩壊:贅沢な自由の代償
エピソードは、キャロルがレッドロックスのガソリンスタンドで「アイスコールドのフルーツパンチゲータレード」を要求するシーンから始まる。しかし届けられたドリンクは生ぬるい。この些細な不満から、彼女の心理状態が垣間見える。世界が終わっても、完璧なサービスを求めるアメリカ的消費主義の象徴だ。
キャロルは孤独を満喫しようとする。ゴルフコースで「I’m All Right」を歌い、ヘメズ温泉で裸で泳ぎながら「Hot In Herre」を口ずさみ、ジョージア・オキーフ美術館で「Georgia」を歌う。しかしこれらの享楽的な行動は、実は彼女の内面の空虚さを埋めるための必死の試みに過ぎない。
時計の映像が繰り返し挿入され、彼女が一人でいる時間の長さを強調する。12日20時間から始まり、最終的に48日を超える。この演出は『Breaking Bad』でギリガンが多用した手法で、時間の重みを視覚化している。
Breaking Bad/Better Call Saulとの深い繋がり
ジョージア・オキーフ美術館:悲劇的な反響
第7話で最も重要な『Breaking Bad』へのオマージュが、キャロルがジョージア・オキーフ美術館を訪れるシーンだ。この美術館は『Breaking Bad』シーズン3の「Abiquiu」エピソードで、ジェシー・ピンクマン(アーロン・ポール)とジェーン・マーゴリス(クリステン・リッター)が訪れた場所として登場する。
ジェーンはオキーフが同じドアを何度も描いた理由について、「その気持ちを長続きさせるため」と説明した。ジェシーは「完璧を目指して何度も描いた」と解釈したが、ジェーンは「愛したものを繰り返し描くことで、その愛を持続させようとした」と語った。この会話は、中毒への転落を暗示する重要なシーンだった。
『Pluribus』では、この意味が反転する。キャロルはオキーフの絵画「Bella Donna」をオリジナル作品ごと盗み、自宅に飾っていたポスターと入れ替える。彼女がこの絵画を見つめるシーンは、失われた繋がりへの執着と、繰り返しによって慰めを得ようとする心理を表現している。しかし『Breaking Bad』では愛する対象があったのに対し、『Pluribus』のキャロルが執着しているのは虚無そのものだ。
マッカランウイスキー:死の予兆
キャロルが注ぐマッカランウイスキーは、『Better Call Saul』ファンには忘れられない象徴だ。このスコッチは、ハワード・ハムリン(パトリック・ファビアン)がシーズン6の「Plan and Execution」でキムとジミーに持参した直後、ラロ・サラマンカによって冷酷に殺害されるシーンで登場する。またハワードとチャック・マッギル(マイケル・マッキーン)が勝利を祝う際にも登場した。
『Pluribus』でキャロルがこのウイスキーを飲むシーンは、彼女の心理的な「死」を暗示している。物理的には生きているが、人間としての繋がりを失いつつある状態を象徴しているのだ。
ウェイフェア航空:繰り返される悲劇
キャロルが第2話で搭乗した航空会社「ウェイフェア」は、『Breaking Bad』シーズン2の最後に起きた航空機墜落事故で登場する。この事故は、ウォルター・ホワイト(ブライアン・クランストン)がジェーンを見殺しにしたことの間接的な結果として発生し、数百人が死亡した。
『Pluribus』でこの航空会社名を再利用することは、単なるファンサービスではない。意図的な行動が予期せぬ大惨事を引き起こすというギリガンの「バタフライ効果」の物語構造を反映している。キャロルの怒りが1100万人以上を殺害したように、個人の選択が世界規模の影響を及ぼすテーマが一貫している。
X-Filesへの隠された言及
ギリガンは『The Independent』誌のインタビューで、第1話に「少なくとも一つの『X-Files』イースターエッグがある」と明言している。ファンの間では、科学者たちが地球外からのRNA配列を発見するシーンに映るノートパソコンのステッカーに「I WANT TO BELIEVE」の文字が見えるという説が有力だ。これはモルダー捜査官の有名なポスターのスローガンだ。
また、タバコのパックに長時間カメラが留まるシーンは、『X-Files』の「タバコを吸う男(Cigarette Smoking Man)」への言及という解釈もある。ギリガンは具体的な確認を避けているが、彼の『X-Files』時代の遺産が『Pluribus』にも受け継がれていることは明白だ。
マヌソスの旅:植民地主義への抵抗
マヌソスのパラグアイからアルバカーキへの旅は、物理的な苦難だけでなく、深い政治的・社会的メッセージを含んでいる。彼が直面する最大の障害は「ダリエン・ギャップ」だ。これはパナマとコロンビアの間に広がる、道路のない危険な熱帯雨林で、実際に50万人以上の移民が毎年この過酷なルートを通過している。
アザーズは何度もマヌソスに援助を申し出るが、彼は頑なに拒否する。「この星のものは何一つあなたたちのものではない。すべてが盗まれたものだ。あなたたちはここに属していない」という彼の言葉は、植民地主義への直接的な批判だ。
キャロルが簡単にロールスロイスやゴルフコースにアクセスできる一方、マヌソスは一滴の水にも苦労する。この対比は、第一世界と第三世界の格差を浮き彫りにする。『Pluribus』は、AIやテクノロジーの比喩としてだけでなく、植民地支配と文化的同化の極端な形として「ジョイニング」を描いている。
マヌソスは英語学習テープで「My name is Manousos Oviedo. I am not one of them. I wish to save the world」と繰り返す。しかし最終的に、チュンガヤシの有毒な棘に刺され、感染症で倒れた彼を救うのは、彼が最も嫌悪していたアザーズだった。この皮肉な展開は、完全な自立の限界を示している。
音楽が語る心理状態
キャロルが歌う楽曲の選択は、彼女の心理状態を雄弁に物語る:
- 「It’s the End of the World as We Know It (And I Feel Fine)」 – REM:世界の終わりを受け入れようとする姿勢だが、歌詞の最後「and I feel f…」で途切れる。彼女は本当に「fine」ではない。
- 「Georgia」 – オキーフ美術館で:故郷や失われた場所への郷愁。
- 「Hot In Herre」 – Nelly:温泉での解放感を装っているが、実は虚しい享楽。
- 「I Will Survive」 – Gloria Gaynor:レストランで一人で記念日を祝う際、生存への決意を歌うが、その状況の寂しさが際立つ。
- 「You’ve Got Another Thing Coming」 – Judas Priest:反抗的な姿勢を示すが、実際には誰に対する反抗なのか不明。
一方で、キャロルの絶望が深まるにつれて流れるのは「Stars and Stripes Forever」だ。この愛国的な行進曲は、アメリカ的価値観(個人主義、消費主義)の空虚さを皮肉っている。
「come back」:降伏か、戦略か
エピソードのクライマックスは、キャロルが道路に白いペンキで「come back」と書くシーンだ。この発見は実際にGoogle Earthで撮影された画像から、ファンによって事前に見つかっていた。ギリガンがこのセットを実際に建設したため、衛星画像に写り込んでしまったのだ。
花火が暴発し、キャロルのすぐ横をかすめるシーン。彼女は避けようとせず、目を閉じて死を待つかのように立っている。この「ほとんど自殺的」な瞬間が、彼女の心理的な転換点となる。
ゾシア(カロリーナ・ヴィドラ)が到着すると、キャロルは最初こそ平静を装うが、最後の数歩で崩れ落ち、彼女の腕の中で号泣する。このシーンに台詞はない。リア・シーホーンの演技だけで、48日間の孤独の重みを表現している。
この結末について、ファンの間では意見が分かれている:
降伏説:キャロルは完全に降伏し、ジョイニングを受け入れる準備ができた。孤独が彼女の精神を完全に破壊した。
戦略説:これは計算された動きで、マヌソスが到着するまでの時間稼ぎ。あるいは第6話でゾシアに真実血清を投与した際、何らかの「治療法」を発見した可能性がある。
両義性説:ギリガンは意図的に答えを保留している。キャロル自身も自分の行動を完全には理解していない。
ヴィンス・ギリガンのカメオ:冷凍された頭部
第6話で、キャロルがアグリジェット施設で発見した冷凍された人間の頭部の一つは、実はギリガン本人の頭部をスキャンして3Dプリントしたものだ。これはヒッチコック的なカメオの伝統を受け継ぐもので、ギリガンが自身の作品に初めて「登場」した瞬間だ。
特殊効果アーティストのジョー・ウリバリがLiDARスキャナーを使用してギリガンの顔を撮影し、それを基に作成された。ギリガン自身も小さなバストを記念品として受け取っている。
視覚言語:ギリガンの映像美学
構図の歪み
『Pluribus』の特徴的な映像スタイルは、世界が「ずれている」感覚を強調する極端な構図だ。第7話では、キャロルのシーンで水平線が傾き、不安定な心理状態を表現している。一方、マヌソスのシーンは、熱帯雨林の圧倒的な美しさを捉える壮大な風景ショットと、危険を強調する緊迫したクローズアップを交互に使用している。
色彩象徴
『Breaking Bad』でギリガンは色を戦略的に使用したが、『Pluribus』でも同様だ:
- 黄色:ポスターやマーケティングで目立つ色で、キャロルのストレスと警告を象徴
- 白色:「come back」のペンキ。降伏と純粋さ、あるいは白旗の象徴
- 赤色:ゲータレード、花火。危険と情熱、そして血
スローテンポの美学と批判
第7話は、ギリガンのスロー・バーン(じわじわ燃える)アプローチが賛否両論を呼んだ初めてのエピソードだ。多くの批評家が「45分をかけて同じメッセージを伝える必要があったのか」と疑問を呈した。
しかし擁護派は、このテンポが必要不可欠だと主張する。キャロルとマヌソスの心理的・物理的な変化を信憑性を持って描くには、時間の重みを観客に感じさせる必要がある。12日間と48日間の違いは、数字では表現できない。それを体感させるには、この長さが必要だったのだ。
ギリガンは『Breaking Bad』や『Better Call Saul』で、退屈に見える瞬間を深く心に残るシーンに変える能力を証明してきた。しかし第7話では、その魔法が完全には機能しなかったという意見もある。
社会的格差の批判:誰のための快適さか
エピソードの中心的なテーマの一つは、社会経済的格差だ。キャロルはアメリカの郊外で、ドローンが飲み物を届け、どんな贅沢も手に入る環境にいる。一方マヌソスは、基本的な水すら手に入らない環境で生き延びようとしている。
アザーズは平等に全人類にサービスを提供すると主張するが、実際にはインフラの偏在が続いている。キャロルのゴルフコースはどこにある?マヌソスのロールスロイスはどこにある?
この批判は、AI技術が「すべての人に平等な機会を提供する」という主張への反論でもある。テクノロジーは既存の格差を解消するのではなく、しばしばそれを拡大する。
人間性のパラドックス:個人主義 vs. 社会性
『Pluribus』の核心的なテーマは、人間の本質的な矛盾だ。私たちは社会的動物であり、繋がりを求める。しかし同時に、個性と自律性を何よりも大切にする。
キャロルは完全な自由を手に入れたが、それは地獄だった。マヌソスは完全な自立を貫こうとしたが、最終的には助けが必要だった。どちらも極端な選択が持続不可能であることを証明している。
ギリガンは、「正しい答え」を提示しない。代わりに、この緊張関係そのものが人間であることの本質だと示唆している。ジョイニングは個性を完全に消去するが、完全な孤立も人間性を破壊する。では、その間のどこに真実があるのか?
聖書的寓話:エデンの園の再解釈
第7話は聖書的なイメージに満ちている。キャロルはイブ、マヌソスはアダム。「知識の実」はジョイニングの拒否であり、楽園からの追放は孤独そのものだ。
マヌソスが車と共に燃やすイエス・キリストのチャームは、彼の精神的な戦いを象徴している。彼にとって、アザーズは「天からの神」であり、それに対する反抗は、人間が神より先にこの地球に存在していたという主張だ。
一方キャロルは、禁断の果実(自由)を食べた後の絶望を体現している。知識は必ずしも幸福をもたらさない。
世界中の反応:SNSが捉えた視聴者の声
賞賛の声
- 「第7話は信じられないほど美しかった。マヌソスが本物すぎる。最後のシーンは完璧」(@Kaaaiii_00)
- 「この番組は最初から、キャロルの悲しみについての物語だった」(@derekwkim)
- 「マヌソスが棘に刺さるシーンは純粋な恐怖。そしてキャロルの孤独による自殺願望。素晴らしい」(@spottedreptile)
批判的な意見
- 「このエピソードは45分かけて何も進展しなかった。6分の内容を引き延ばしただけ」(The Review Geek)
- 「ペースが遅すぎて退屈。必要悪なエピソードだが、楽しめなかった」(Winter is Coming)
- 「キャロルがカレン化している。共感できないキャラクターに1時間付き合うのは辛い」(一部視聴者)
深読み理論
- 治療法発見説:キャロルは第6話でゾシアに何かを発見したが、アザーズが距離を置いているため投与できない
- 計算された降伏説:「come back」は罠で、マヌソスとの作戦の一部
- ゾシア分離説:ゾシアは実は既にハイブマインドから切り離されており、それをアザーズが隠している
技術的功績:無言の演技の力
リア・シーホーンとカルロス=マヌエル・ベスガの演技は、台詞がほとんどない中で驚異的だ。特にシーホーンは、顔の表情だけで48日間の孤独の蓄積を表現している。
監督のアダム・バーンスタインと脚本家のジェン・キャロルは、視覚的なストーリーテリングの教科書のような作品を作り上げた。ギリガンの作曲家デイヴ・ポーターによる音楽も、初めてフルオーケストラと合唱団を使用し、壮大さと親密さを両立させている。
残された謎:次回への布石
第7話の終わりで、いくつかの重要な疑問が残る:
- キャロルとマヌソスはいつ出会うのか? マヌソスはアザーズに救助され、おそらく回復するだろう。しかしキャロルが心変わりした今、二人の同盟はどうなるのか?
- ゾシアの真の役割は? 彼女はキャロルの感情的な弱点を利用するためにアザーズが送り込んだ存在なのか、それとも本当に個人的な繋がりを持っているのか?
- 「come back」は降伏を意味するのか? それとも、より深い計画の一部なのか?
- マヌソスは助けを受けたことで変わるのか? 彼の確固たる信念は、命を救われたことで揺らぐのか?
最終評価:必要な通過点か、自己満足か
『Pluribus』第7話は、シリーズで最も論争的なエピソードだ。ギリガンのスロー・バーン手法の限界を試し、一部の視聴者を失望させた。しかし同時に、キャラクター研究としては傑出している。
この物語は、キャロルとマヌソスが最終的に出会ったときの衝撃を最大化するための基礎を築いている。彼らの価値観の違い、アザーズへの態度の対比、そして両者が直面した孤独の形の違いが、今後の展開に大きな影響を与えるだろう。
第7話は、即座の満足を求める視聴者には向いていない。しかし、忍耐強く見守る者には、人間性の深い探求と、ギリガンの比類なき職人技を楽しむ機会を提供している。
結論:『Pluribus』が描く世界への警鐘
第7話「The Gap」は、タイトルが示す通り、複数の「隔たり」を描いている。キャロルとマヌソスの物理的距離、第一世界と第三世界の格差、自由と繋がりの間の溝、そして最も重要なのは、人間が自分自身の内面に抱える矛盾だ。
ヴィンス・ギリガンは、『Breaking Bad』で善人が悪人になる過程を描き、『Better Call Saul』で悪人がどのように生まれるかを描いた。『Pluribus』では、最も悲惨な人間が人類を救う唯一の希望である矛盾を探求している。
第7話は完璧ではないが、それがポイントなのかもしれない。完璧を追求すること自体が、ジョージア・オキーフがドアを何度も描いたように、愛と執着の表現なのだ。そして『Pluribus』が愛しているのは、欠陥だらけで、矛盾に満ちた、美しくも悲しい人間性そのものだ。
残り3エピソードで、キャロルとマヌソスの運命がどう交差するのか。そして「come back」というメッセージが、希望の始まりなのか、絶望の終わりなのか。ギリガンバースの最新章は、私たちに問い続ける:人間であることの本当の意味とは何なのか、と。
注目ポイント:
- Google Earthで事前に発覚した「come back」メッセージ
- ジョージア・オキーフ美術館の悲劇的な再訪
- マッカランウイスキーとハワード・ハムリンの死の繋がり
- ウェイフェア航空とWayfarer 515便墜落事故の関連
- ダリエン・ギャップの現実的な描写
- ヴィンス・ギリガンの冷凍頭部カメオ
- X-Files「I WANT TO BELIEVE」ステッカーの可能性
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