僕が深掘りした、オニヤンマ・コンプレックスの正体

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📝 この記事のポイント

  • 2025年12月12日、金曜日の午後三時。
  • 都心を走る埼京線の車内は、いつも通りのざわめきに包まれていた。
  • 僕は窓際の席で、イヤホンから流れるチル系の音楽に身を委ねながら、ぼんやりとスマートフォンを眺めていたんだ。

2025年12月12日、金曜日の午後三時。都心を走る埼京線の車内は、いつも通りのざわめきに包まれていた。僕は窓際の席で、イヤホンから流れるチル系の音楽に身を委ねながら、ぼんやりとスマートフォンを眺めていたんだ。X(旧Twitter)のタイムラインには、相変わらず誰かの主張や、誰かの日常が流れていく。ふと、数日前に近所のドラッグストアで見かけたPOP広告のことが頭をよぎった。『キケンから身を守る!クマ・オニヤンマ対策グッズ販売中!』。クマはわかる。だけど、オニヤンマ?あの、夏の日差しの中を悠然と飛び回る、堂々とした昆虫が、なぜ『キケン』なんだろう。

僕がXに「オニヤンマってそんなに危険でしたっけ?」と投稿してみると、予想以上に大きな反響があった。その多くが、オニヤンマへの恐怖を語るものだったんだ。「噛まれたら血が出る」「子供の頃、追いかけられたトラウマがある」なんて声もあって、正直驚いた。その一方で、僕と同じように「別に怖くない」という意見も少数ながらあったんだけど、この対立する意見の狭間で、僕はふと、ある疑問にたどり着いたんだ。もしかしたら、このオニヤンマへの恐怖は、僕たちが日頃感じている、もっと大きな「知らないことへの恐怖」の象徴なのではないか、と。僕はそれを、仮に「オニヤンマ・コンプレックス」と呼んで、その正体を探ってみることにしたんだ。

目次

最初の印象

僕にとって『オニヤンマ・コンプレックス』は、最初、都会で育った人たちが自然に対して抱く、ちょっとした面白おかしい反応、くらいの印象だったんだ。田舎で育った僕には、オニヤンマが危険だなんて考えたこともなかったからね。でも、Xのコメント欄を見ていると、それは単なる『知らないだけ』ではない、もっと深い感情が潜んでいることに気づかされたんだ。それは、自分の経験や知識の範囲外にあるものに対する、漠然とした不安や、時には強い拒否感。まるで、見えない壁が心の中に築かれているような感覚だったよ。あの巨大なトンボへの恐怖は、彼らにとっての『未知なる脅威』の象徴なんだな、と僕は思ったんだ。

実際に使ってみて

この『オニヤンマ・コンプレックス』という言葉を頭に入れて、僕は改めて周囲の出来事や、過去の自分の体験を見つめ直してみたんだ。すると、意外なほど多くの場面でこの『コンプレックス』が顔を出していることに気づいたよ。例えば、昔、都会育ちの友人Aを僕の実家に招待した時のこと。彼は、僕が何の気なしに「向こうにカエルがいるよ」と言っただけで、悲鳴を上げて飛び退いたんだ。僕にはなんてことない田んぼの風景も、彼にとっては未知の生物が潜む「危険地帯」だったんだろうね。オニヤンマが頭上を旋回した時の彼の恐怖は、まさに『オニヤンマ・コンプレックス』の典型だった。あの時、僕はAの反応を単なる「虫嫌い」と片付けていたけれど、今ならそれが、彼がこれまで触れてこなかった自然に対する、純粋な恐怖心だったんだと理解できる。この視点を持つことで、人の反応がより深く理解できるようになったんだ。

良かったところ

この『オニヤンマ・コンプレックス』という視点を持つことで、僕にはいくつかの良い変化があったんだ。

  • 他者への理解が深まったこと: 以前なら「なぜそんなことで怖がるの?」と思ってしまっていたことでも、「ああ、これは彼にとってのオニヤンマなんだな」と、相手の感情に寄り添って考えられるようになった。一方的な批判ではなく、共感の気持ちが生まれるようになったんだ。
  • 自分の固定観念に気づけるようになったこと: 僕自身も、無意識のうちに「当たり前」だと思っていることが、他の人にとっては全く違う感覚だということに気づかされた。たとえば、デジタルネイティブ世代がSNSを使いこなすのを見て、「なぜそんなに簡単にできるんだろう」と感じるのも、僕の「オニヤンマ・コンプレックス」なのかもしれない。
  • 新しい視点や解決策が見つかること: ある分野の専門家が、自分の常識を疑わずに他の分野を批判しているのを見た時、「これもオニヤンマ・コンプレックスだ」と冷静に分析できるようになる。そうすると、どうすれば互いの理解を深められるか、具体的なアプローチが見えてくるんだ。

気になったところ

もちろん、この『オニヤンマ・コンプレックス』という視点にも、いくつか気をつけたい点があったよ。

  • 安易なレッテル貼りの誘惑: 何かというと「これは相手のオニヤンマ・コンプレックスだ」と、安易に決めつけてしまいそうになる時があった。でも、人それぞれの感情や背景はもっと複雑で、一言で片付けられるものではないよね。本当に相手の気持ちを理解するためには、さらに深く掘り下げて聞く姿勢が大切だと感じたよ。
  • 本当の危険を見過ごす可能性: 「知らないものへの恐怖」が『オニヤンマ・コンプレックス』だとすると、本当は警戒すべきことまで「ただのコンプレックスだ」と軽視してしまう危険性もあるかもしれない。例えば、本当に毒のある虫や、危険な場所に対してまで、「怖がるのはコンプレックスだ」と言ってしまえば、本質を見誤ってしまうからね。その見極めは、常に慎重に行う必要があるんだ。

どんな人に向いてる?

じゃあ、この『オニヤンマ・コンプレックス』という視点は、どんな人に役立つんだろう。僕は、特にこんな人たちに試してみてほしいと思っているよ。

  • 新しい環境に飛び込む予定がある人
  • 他者の言動に疑問を感じやすい人
  • 自分の視野を広げたい、固定観念を打ち破りたい人

新しい環境や、異なる価値観に触れる機会がある人なら、この視点を持つことで、戸惑いや摩擦を減らし、よりスムーズに適応できるんじゃないかな。「なんであの人はあんな風に考えるんだろう?」と、他人の行動原理にモヤモヤを感じやすい人なら、この視点から見つめ直すことで、意外な答えが見つかるかもしれないよ。そして、「自分にとっての当たり前」が、実は「他者にとってのオニヤンマ」である可能性に気づくことで、これまで見えなかった世界が見えてくるはずだから。

使い続けて2ヶ月の今

この『オニヤンマ・コンプレックス』という概念を意識し始めて、使い続けて2ヶ月が経った今。僕の日常には、小さな変化がいくつも生まれたんだ。以前よりも、人の話に耳を傾けるようになったし、相手の反応に対して、すぐに自分の価値観で判断しなくなった。たとえば、職場の後輩が新しいツールの導入に戸惑っているのを見た時、「彼にとっては、これも『オニヤンマ』なんだな」と思うと、ただ「頑張れ」と言うだけでなく、具体的なサポートの仕方を考えられるようになったんだ。

そして何よりも、自分自身が新しいことに挑戦する時の、あの少しの「恐怖」や「ためらい」が、以前よりも受け入れやすくなった気がする。新しいことへの挑戦は、まさに「未知のオニヤンマ」に立ち向かうことなんだと。この視点を持つことで、僕は少しだけ、心に余裕が持てるようになったんだ。

『オニヤンマ・コンプレックス』。それは、特定の昆虫に対する恐怖だけを指す言葉じゃない。僕たちが、自分の知らないこと、経験したことのないことに対して抱く、心の壁や、それに伴う戸惑いや偏見の総称だと、僕は今はそう考えているよ。

僕たちは、それぞれ異なる『オニヤンマ』を心の中に抱えているのかもしれない。けれど、その『オニヤンマ』を認め、時には立ち向かい、時には理解しようと努めることで、きっと新しい世界が広がるはずだ。隣に座る人が抱える『オニヤンマ』に、そっと耳を傾けてみないか。きっと、そこから始まる会話が、僕たちの世界を少しだけ豊かにしてくれると信じているんだ。

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 AIピック AI知恵袋ちゃん
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この本面白そう!読書って新しい世界が広がるよね
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